過去を忘れようとしても、身体に残った傷跡がそれを許してくれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

V

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか雨は止み、太陽の日差しが雲間をすり抜けて地を照らす。

 辺りを歩く人々はもう既に傘を畳んでいるというのに、一向に畳む気配を見せないキラ。

 そんな彼女に苦笑を浮かべて、アスランはそっと彼女から傘を奪い取った。

 「っあ・・・」

 慌てて取り返そうとするが、アスランの笑顔にそれは勢いをなくした。

 「もう雨、止んでるよ」

 そう言いながらも、傘を丁寧に畳んでいく。

 自分の手が濡れるのも厭わず、まるでその傘をも愛しむかのように優しくその大きな手で包み込む。

 藍色の髪を照らす光が、否、光を浴びて輝く彼が、美しいと感じてしまうのはただの気の迷いか、それとも必然か。

 「ねえ」

 気がついたら、言葉が口をついて出ていた。

 「あなたは一体、どこまで知っているの?」

 自分のことを、どこまで知っているのか。

 その、まるで何もかもを見透かしたような翡翠が、キラの不安感を煽る。

 「・・・・・・・・・・さあね」

 しかし、長い沈黙の後に返された返答は、キラの望むものではなく。

 「少なくとも俺は、君が思っているよりは知っていると思うよ」

 それは一体どういうことか。

 「・・・・・どういう意味かしら?」

 自分でも気づかぬうちに、強くなる眼光。

 しかしアスランはそれを気に留めることなく微笑むばかりであった。

 「君が知らないことも、知っているかもしれないってことだよ」

 キラの瞳が、大きく見開かれる。

 「・・・・・え・・・?」

 アスランの言葉を理解し兼ね、キラの脳内はパニック状態に陥る。

 キラ自身も知らぬ、キラのこと。

 そんなこと、見当などつくはずもなく。

 アスランは瞳を揺らすキラに苦笑を零し、彼女の肩に手を置いた。

 「けれど、君は知らなくていいことだよ」

 そう言って、キラの横を擦り抜けた。

 「っアスラン!!」

 振り返った時にはもう、アスランの姿は人々に紛れて見えなくなっていた。

 「・・・・・・・・・・僕が知らない、僕のこと・・・?」

 いつの間にか出てきた、昔の一人称。

 それに気づくことなく、キラは思案に暮れる。

 しかし数秒もたたないうちに、その足は動きだした。

 ここにいても、辛いだけだから。

 今のイザークとの関係を崩したくないキラにとって、彼らの会食に割り込む勇気はなかったのだ。

 ふと空を見上げれば、天辺だけの虹が見えた。

 どうして空はこんなにも、綺麗なのだろうかと。

 キラは眉を寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時計の短い針は、一時を過ぎている。

 とは言っても、外は真っ暗で。

 キラは一人、リビングのソファに座っていた。

 照明は点けていない。

 メイドたちがいれば恐らく点けるだろうが、今のキラにとっては暗闇が一番落ち着くのだ。

 幼い頃からそうだった。

 嫌なことがあった時など、よく光の届かぬ真っ暗なクローゼットに逃げ込んだものだ。

 今はそんなことは流石にないが、やはり暗闇は落ち着く。

 最早癖であろうこの行為を、知っている人はこの家にはいない。

 ずっと昼間のことを考えていた。

 メイドが今日の勤務時間を終えて帰って行った後もずっと。

 けれどその間今まで、夫であるはずのイザークは帰ってこなかった。

 一体こんな時間までどこで何をやっているのか。

 予想は簡単についてしまうから、キラはそのことに一切触れない。

 代わりに触れたのは、あのアスランの言葉。

 『君が知らないことも、知っているかもしれないってことだよ』

 キラ自身が知らないことなど、本当にあるのだろうかと。

 あるいは彼の言葉自体が、キラを惑わす嘘だったのかもしれないと。

 そんなことをずっと考えていた。

 しかしいくら考えてみても、答えは一向に出て来ず。

 そろそろ寝なければ明日の朝が辛いと思い、立ち上がった時。

 そっと玄関が開かれる気配がしたのだ。

 リビングから玄関は遠いが、広くても誰もいなければ小さな物音でも聞き取れるくらい今の時間は静かだった。

 その静けさがまるで、嵐の前を物語っているかのようで。

 「・・・・・お帰りなさい」

 しばらくの間の後、足音を忍ばせて入って来たイザークに、キラはそっと言った。

 「!?っあ、ああ。キラ、今まで起きていたのか?」

 言外に、さっさと寝ていればいいのにと、暗闇でもその存在を主張するアイスブルーが物語る。

 「ええ。いつもより遅いから・・・」

 苦笑交じりに言う反面、キラの心の中は不安感が渦巻く。

 この関係を崩したくない。

 だから何も、干渉しない。

 それでいい、はずなのに。

 「ごめんなさい。疲れているのに気を遣わせてしまって」

 そう言いながらも、照明のスイッチを入れ、部屋内を明るくする。

 そうして露になったお互いの顔色に、お互いが驚いた。

 イザークはキラの顔色に。そしてキラは、自分の顔を見て驚くイザークに。

 「お前・・・・・」

 次の瞬間触れた冷たいモノに、キラは何が起こったのか理解しきれずに困惑した。

 「やっぱり・・・熱があるじゃないか」

 そう言われて初めて、自分の額に触れるモノがイザークの手なのだと気付いた。

 「イザーク、手が冷たいわ・・・」

 心なしか靄がかかったような思考で、外は寒かったのかなどと考えていたら、上から呆れたような溜息が聞こえた。

 「お前の身体が熱いんだ」

 そう言うのと同時に、突然身体が浮くような感覚。否、実際に浮いているのだ。

 「っ!?」

 突然のことで驚いたキラは、目の前のイザークの顔に困惑の表情を露にした。

 それを汲み取ってか、イザークは半ば険しい表情で部屋に運ぶから大人しくしていろと言った。

 抵抗するにも身体は怠惰に重く、しかしキラには抵抗する気すらなかった。

 ここで抵抗したら、更にイザークに迷惑をかけてしまう。

 せっかく運んでくれるというのだから、常にないこの優しさに触れていたかったのだ。

 今だけ。

 今だけでもいいから、この優しさを独り占めしていたい。

 「・・・・・キラ?」

 服が引っ張られる感覚に、イザークはキラの顔を覗き込んだ。

 だが既にキラは目を閉じていて、その表情を伺うことはできなかった。

 「・・・・・・・・・・キラ」

 すまない、と聞こえるはずもないのに音にするその言葉は、何に対しての謝罪なのか。

 それはイザークしか、知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 












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