太陽の光が、純白のカーテンの僅かな隙間から、零れる。 「・・・ん・・・・・」 その眩しさが鬱陶しくて、ベッドの上で唸る少女。 鳶色の髪を無造作にシーツの上に流し、整った顔立ちの頬に一筋かかる様は、美姫のそれ。 まさしく彼女はこの国、ルータール国の第二王女であるのだが、その実彼女の性格は、普段は猫を被っているが、特定の人物に 対しては彼女の姉同じくやんちゃで、とても姫君とは言い難いものであった。 しかしそれでも、猫を被るのはなかなかに上手い。 彼女の住まう後宮で働く者でも、知らない者はほとんどである。 その中でも極稀な、彼女の本性を知っている一人である文官、先日王から直々に第二王女の世話係を命じられたアスラン・ザラ は、扉付近で途方に暮れていた。 ただ今、昼食時間の一時間前である。 それなのにアスランの目の前の部屋で眠るキラ姫は、未だに起きてくる気配がない。 起こせばいいものを、と人は言うのだろうが、そんなことはもうとっくにやっている。 ならば何故彼女は起きて来ないのか。 その答えはただ単に、キラの寝起きが悪いからである。 しかしお昼近くまで寝ているのは、一体どういうことなのか。 その答えは偏に、アスランが彼女に仕えた日の翌日から始まった、勉強前の剣の稽古故であろう。 男ならまだしも、キラは女である。それも、未だ少女の身体つき。疲れが出るのも、致し方ないことだ。 やはり、毎日はキツ過ぎたか・・・などと、アスランは一人後悔する。 そうは言っても負けず嫌いなキラのこと。言っても恐らく嫌だと首を横に振るだけであろうことは容易に予想できた。 そんなことをつらつらと考えていたアスランは、ふと顔を上げた。 いい加減起こさねば、自分が王に叱責されてしまうではないか。 そんなことは御免被りたいので、アスランは再び意を決して扉をノックした。 コンコンコン、という小気味のよい音を響かせた扉のノブに、触れる。 「キラ姫様。アスランです・・・・・」 中に声をかけ、返事がないのを確認し、未だ彼女が寝ているであろうことを確信した。 「・・・失礼します」 一応女性の部屋に踏み入るのだ。それなりに抵抗はあるが、いつまでも部屋の前で立ち往生してはいられない。 ガチャリ、とノブを回し、アスランは躊躇いながらも部屋に踏み入った。 そしてアスランは、未だベッドの上で眠るキラに向かい、歩を進めた。 僕のナイト 中編 太陽の光に眉根を寄せても尚睡眠を貪ろうとするキラに、アスランは深々と溜め息を吐いた。 そして一つ息を吐くと、アスランはキラの肩をそっと揺すった。 「キラ姫様、起きて下さい。もうお昼の時間になってしまいますよ」 普通の声量で言っても、キラは全く目を開ける気配を見せない。 仕方無しに、大きく息を吸って。 「キラ様!!!いい加減に起きて下さい!!!!!」 と、思い切り怒鳴ってみた。 この部屋は元来防音となっているので、その声が外に響く恐れはない。 仮にも姫君に声を荒らげるとは、王にバレれば処罰の対象になってしまうのだが、中々起きない目の前ですやすやと安らかに眠る キラは、このくらいしないと起きてはくれないのだ。 「んぅ・・・・・あすらん・・・?」 漸く目覚めたのか、キラはゆっくりと目を開いた。 長い睫に縁取られた紫水晶が今、顕現する。 その様はさながら、古代神話に出てくる女神の胸元を飾るアメジストのようだ。 「おはようございます、キラ様。よく眠れましたか?」 苦笑交じりにそう尋ねると、キラは一つ大きな欠伸をして起き上がった。 その酷く緩慢とした動作にヤキモキさせられるも、アスランはじっとキラの言葉を待つ。 「・・・・・まあね。今何時?」 頭上に両手を伸ばして伸びをする彼女に、11時を過ぎたところです、とアスランは答える。 「・・・・・なんで起こさなかったのさ?」 アスランの返答に思い切り眉間に皺を寄せたキラは、目の前にいる自分の世話係を思い切り睨み付けた。 「なんでって・・・キラ様がお起きになられなかっただけで、こちらは何度も起こしましたよ?」 心外だと言わんばかりに目を丸くして、アスランは言葉を口にした。 「嘘だぁ!!」 こちらも心外だとばかりに目を丸くするキラに、嘘ではありませんと返すアスラン。 このままでは埒が明かないので、アスランは取り敢えず着替えるようキラを促した。 「では、私は外でお待ちしておりますので、昼食をご一緒しましょう」 『昼食』という言葉を強調して言うアスランをキッと睨み据え、キラはアスランを部屋から追い出した。 ほんの少し早い昼食を食べ終えたキラたちは、広く様々な色彩のある、それでいて綺麗に整えられている庭園に来ていた。 「ねえアスラン」 真っ赤なバラが咲き誇る箇所に座り込み、それらを手に取るでもなくじっと眺めていたキラは、唐突に後方に控えるアスランに 声をかけた。 「はい、なんでしょうか?」 バラを見上げたままの声に、アスランは首を傾げながらも声を返す。 「お散歩行きたい」 ポツリと紡がれた声は、どこか覇気が感じられず、アスランは僅かに眉を顰めた。 「お散歩、ですか?」 ならばこの庭園で充分であろうに、とアスランは言葉を続ける。 するとキラは首を横に振り、違うと言う。 「外に、行きたい」 それは、この国の王女という立場故の、一種の現実逃避かもしれない。 若しくはただの好奇心か。 どちらにせよ彼女に仕えて数日のアスランには、予想し得ないのは致し方ないことである。 「しかし、王様のお許しがなければ、城外には・・・」 言葉を濁すアスランを、キラは思い切り振り返った。 「お父様の言葉なんて、知らない!!僕、外に行く!!!」 そう言い捨て、走り去る。 その表情は、今にも泣きそうで、アスランは足に根が張ったように、その場から動くことが出来なかった。 昨日の夜、キラは一人父に呼び出され、王の謁見の間に足を運んだ。 そしてそこで聞かされたのは、この国の王女と言う宿命の成れの果て。 『キラ、お前には隣国の・・・メイダス国の第一王子と、婚約してもらうこととなった』 厳かに紡がれたその言葉に、キラは力なく了承の意を示すしかなかった。 王の言葉を拒否することは、第二王女であるという立場にあるキラには到底出来得る筈もなかった。 『すまんな。お前には、お前自身が伴侶と定めた者をと、思っておったのだがな・・・。これも平和の為だ。許せキラ』 申し訳なさ気に頭を下げられては、キラも快諾を示す他なかった。 『大丈夫ですわ、お父様。私、嬉しゅうございます。平和の為に役立てるなど、この上ない役目にございますわ』 無理やり目を細め、口端を吊り上げ、頬も吊り上げ。 そうすれば安心したのか、王は苦笑を零してそうか、それならよいが・・・と息を吐いた。 それから軽く挨拶をして、キラは部屋に戻ったのだ。 その時、アスランは既に文官の仕事に戻っていたので、その話は一切聞いていない。 王直々に文官の仕事は辞めてもいいとは言われたが、流石にその言葉に甘えるわけにも行かず、アスランは昼間はキラの世話係 として働き、夜は寝る時間も削って文官での仕事をしているのだった。 そんなアスランに王は何も言わず苦笑を零すに留まっているらしいので、一応は容認してくれているようだった。 部屋に戻ったキラは眠る準備をし、ベッドに入った。 しかし王の言葉が頭から離れず、これからのことを否が応にも考えさせられる。 平和の為に役に立てるということは、嘘偽りなく嬉しい。 しかしその為に好きでもない男と結婚すると言うことには、やはり抵抗があるのだ。 何も結婚が嫌と言う訳ではない。 結婚だけならまだいい。 けれど王族と言う立場上、跡継ぎを生まねばならない。 そうなれば相手の男と身体を交わらせるのは、避けようもないことなのだ。 その行為が、嫌なのだ。 せめて『初めて』は、愛する人に捧げたい。 けれどキラには今、思いを寄せる男性がいない。 それに、それを実行したとして、後で処罰を受けるのはその男性なのだ。 「ふう・・・・・」 思わず、溜め息を吐く。 その時、何故かふと脳裏に、最近自分の世話係になったばかりの文官、アスランの顔が過ぎった。 柔らかそうな宵闇の髪に、知的な輝きを持つ翡翠の双眸。 通った鼻梁に、それを生かす整った顔立ち。そしてバランスのよいその体躯は、女性であれば誰しもうっとりと見惚れてしまう であろう。 運動神経はどうだか知れないが、その頭の回転の速さはほんの数日接しただけでも窺い知れる。 そんな人物が自分のようなやんちゃな姫の世話係など、務まるのだろうか。 そう思ってここ数日見てきたが、彼に辞める気配はない。 それどころか文官の仕事もこなしていて、凄いとさえ思える。 「あんな人が、僕のお婿さんだったらよかったのに・・・・・」 無意識のうちに零れたその言葉に、キラはハッとなって思い切り頭を振った。 「ダメダメ!!あの人はただの文官!!僕は第二王女!!」 頭を抱えて、自分自身に言い聞かせる。 そう。彼はただの文官で、自分は彼よりもはるか上の身分。 たとえ彼が名門ザラ家の嫡男であっても、結婚することは難しい。 それは偏に、キラの姉である第一王女、カガリがこの国を継ぐからだ。 そうなれば必然的に、キラは他の国との外交に使われることとなる。 しかし王は、キラ自身が決めた男性を伴侶として認めると言ったのだ。 その言葉に、偽りはなかったのだろう。 だが隣国との平和を望む王は、キラにその役目を任せたのだ。 ならば王族として。この国、ルータール国の第二王女として、その役目を果たさねばならない。 それは宿命であり、使命でもある。そして王女として為さねばならない義務でもあるのだ。 たとえ心が受け付けずとも、受け入れねばならないのだ。 キラはその日、空が明るくなる頃まで寝付くことが出来なかった。 キラ姫様がいなくなった、と城内の者たちが知ったのは、キラがアスランの元を走り去ってから数分後のことだった。 慌てて城内を探したアスランを訝かしんだ侍女の一人がアスランに尋ねたところ、キラが見つからないということが判明したの だ。 それから、城内に知れ渡り、今に至ると言うことだ。 アスランは慌てて王に謁見賜り処分覚悟でこのことを告げたが、王は一瞬悲しそうに眉を寄せ、アスランに城外を探せとの命令 を下したのだった。 それからアスランは馬を駆り、城下町へと下っていった。 途中で適当な木に馬を繋ぎ、城下町を見渡した。 腰には城内では禁じられていた剣が、ある。 文官はその職柄上、城内での帯剣を許されていないのだ。 だから城外に来たアスランは、護身用も兼ねて持ってきたのであった。 それにしても、この人混み。 元来人の多い場所を好まないアスランは、早々にキラを見つけ出し、さっさと城に帰ろうと決意したのであった。 そうして辺りを見渡しているだけでは見つかるものも見つからないので、取り敢えず人に尋ねてみようと動き出した。 それから約一時間、人に尋ねたりしたが、全くと言っていいほど確かな情報が掴めない。 そうして諦めかけた、その時。 「ああ、確か二時間ほど前だったか、向こうに走っていったのを見たよ。とても急いでいたみたいで声はかけられなかったが、 鳶色に、紫の瞳だったと思ったよ?」 そう教えてくれた年配の女性に礼を言いつつも、アスランは女性の指差した方向に向かって走り出した。 その方向は、二年前アスランが重傷を負ったアズレイの地の方角だった。 アスランの胸に、言い知れない不安が過ぎる。 アスランは焦って縺れそうになる足を必死に動かし、そちらに向かっていった。 あとがき 後編にするはずが、続いてしまいました。中編です。 |
illust by 13-Thirteen
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