涙が、零れそうだった。

 けれど、零さないように必死に瞳に溜めて。

 こんな自分が、君に見られると思うと恥かしくて、なんだか悔しくて。

 ずっと俯いていた。

 

 『僕のこと、忘れないでね?』

 

 そう言うと、君は今まで以上に綺麗な笑顔を見せてくれた。

 

 『絶対、忘れないよ』

 

 自然と上げた顔。

 その反動で、涙が零れてしまった。

 慌ててそれを手の甲でグイと拭うと、君が小さく笑うのがわかった。

 

 それは今から十四年も前の話。

 彼のことで覚えているのは、『アスラン』という名前と、綺麗な翡翠の瞳、そして宵闇の髪の毛。

 そして何より、あの美しい顔立ち。

 きっと今では、とても魅力的な美男子に成長していることだろう。

 けれど、あの頃に帰りたいと、思ってしまう。

 無理だというのに、叶わないというのに。

 それでも夢を見る。

 彼と笑い合った、あの日々に帰りたいと。

 そして。

 また、彼に会いたい、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

T

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつものように窓を開けて、新しい空気を入れる。

 澄み切った朝特有の空気は、キラの心の安定を保っている。

 そうして深呼吸を一度し、着替えを始める。

 勿論、カーテンを閉めてからだが。

 そうして着替え終わった時、タイミングよくノック音がした。

 「キラ様、失礼します」

 そう言って、返事を待たずに侍女が一人扉を開けて入ってくる。

 キラはそれを気にするでもなく、淡々と髪を結う。

 「お手伝い致しましょうか?」

 侍女の言葉に、キラは首を横に振って答える。

 「・・・・・そう、ですか・・・」

 寂しそうに返す侍女に、キラの胸はちくりと痛みを訴えた。

 他人の前では口を利いてはならない。

 そう、父に教え込まれたからだ。

 男装しているキラにとって、誰にも、それがたとえ自分つきの侍女であっても、自分が女であるということを悟られてはならないと。

 物心ついた時には既に、男装をしていた。

 父は、将来キラに政権を渡し易くする為だと言ってくれた。

 たとえそれが、他の誰にも王座を取られたくないという執着故であっても。

 それでも、必要としてくれるなら、と。

 だからこそ逆に、どんなに辛く当たられても、父は絶対に自分を裏切らないという自信があった。

 ほんの少し声を出しただけで、顔以外の身体全体を鞭で気の済むまで叩かれても。

 ほんの少し笑顔を見せただけで、あの地下の牢獄に閉じ込められても。

 それでも、父はやはり、自分の父でしかなく。

 キラは今まで、父に逆らうことなどなかったのだ。

 逆らえば、自分は捨てられてしまうかもしれない。

 たとえそんなことは有り得ないとしても。それでも、不安なのだ。

 少しでも逆らえば、それだけ愛情が薄れてしまうのではないかと。

 そもそも自分などに、愛情などというものを注いでくれているのかでさえ怪しいのに、これでは自分の立場を悪くするだけだから。

 だからキラは、今日も父の言いつけを守っている。

 だが、明らかに常とは違うことが一つ。

 「そういえば、あの鳥はいかがなさいました?昨日からか、姿が全く見えないのですが・・・」

 口を濁しながら話しかけてくる侍女に、キラはそっと首を振った。

 「・・・・・そう、ですか。もしかしたら、旅立ってしまったのやも知れませんね」

 苦笑を浮かべて、キラが気落ちしていると思ったのだろうか、務めて明るく言ってくる。

 実際、キラは落胆していた。

 キラがずっと大事に育ててきた鳥、名をトリィという。

 トリィは、キラが四歳の時から飼っている。

 閉じ込められていた親友を逃がした後、キラも外に出て、まるで彼の代わりのようにキラの元にやってきた鳥。

 彼と同じ翡翠色の羽を小さく羽ばたかせながら、ベランダの柵の上に留まって、首を傾げながらこちらを見ていた鳥。

 引き寄せられるように、窓を開けて指を差し出せば、一瞬不思議そうな顔をしながらもちょこんと飛び乗ってきたのだ。

 トリィ、と珍しい鳴き声で鳴くものだから、キラはそのまま『トリィ』と名付けたのだった。

 それからというもの、キラはトリィを彼だと思って可愛がっていた。

 いつか彼と再会できると信じて。

 トリィさえいれば、また彼に会えるのではないかと思えるから。

 それからトリィは毎日、キラの傍にいた。

 キラはそんなトリィに、少しでも自然に触れられるようにと、窓を開放していた。

 朝出かけていって、時折戻ってきたりして。そして夜は一緒に眠るのだ。

 だが昨日は、朝窓を開けてから、全くその姿を見ていないのだ。

 キラの中に不安が生まれた。

 トリィは自分と彼を繋ぐ、唯一の道標のような気がするから。

 トリィがいなくなってしまったら、なんだかもう、彼とは会えなくなってしまうような、そんな気がするから。

 「キラ様、ご朝食はいかがなさいますか?」

 侍女のいつもの質問に、キラはハッと我に返って自分の部屋に置いてあるテーブルセットを指差した。

 毎日のことなので、侍女は畏まりましたと深々と頭を下げ、この場を後にした。

 広々とした部屋。

 民の家なら、軽く一、二軒建ってしまえそうな、そんな広さだ。

 そんなことを考えていると、なんだか無性に申し訳なくなってくる。

 民の税を使って、この城は建てられたようなものだ。

 だからと言って、民が裕福なわけではない。

 寧ろ、貧困に思い悩んでいる。

 それを助けてあげたいのに、今のキラには何も出来なかった。

 今は父が政権を握っている。

 たとえキラが、歳相応だとしても。

 今は結局、父の天下なのだ。

 キラが口出しすることは、父に逆らうも同じこと。

 キラはメイドが朝食を運んでくるまで、ずっと空を見上げていた。

 それはたとえれば、空で羽ばたきたいと願う鳥籠の中の鳥のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何分かして、またノックの音がした。

 キラはゆっくりと振り返り、扉の向こうの人物を出迎えようとした。

 だが、先程は一声かけたのに、そんな様子はない。

 連想できる人物は、一人だけ。

 キラの表情が、微かに緩んだ。

 そっと押し開けられた扉から、ひょこりと顔を出す、二十代後半の女性。

 名は、マリュー・ラミアスという。

 彼女はキラが少女であることを知っている唯一の侍女で、この城の侍女たちを仕切っている、所謂侍女頭だ。

 「朝食、持ってきましたわ」

 マリューはそう言うと、二人分の食事をテーブルに置いた。

 どうやら彼女も一緒に食べるらしい。

 扉が完全に閉まってから、キラは苦笑を漏らした。

 「おはようございます、マリューさん」

 漸く口を開いたキラの声は、しばらく出していなかったからか、少しばかり掠れていた。

 それでもその声は、鳥が歌うが如く、まるで朝の空気のように清々しく澄んでいた。

 「おはようございます。朝食、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

 ニコニコと微笑みを絶やさず、優しく言葉を紡ぐマリュー。

 「どうぞ。というかいつも一緒だったし。遠慮は要りませんよ」

 そう言ってやると、苦笑を浮かべてそうねと返してくる。

 そうして二人目を合わせると、どちらからともなく笑い出す。

 こんな一時が、ずっと続けばいいのにと、キラはいつも願っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カチャカチャと、ナイフが皿に擦れる音が小さく響く。

 「・・・そう。まだ、帰ってこないの・・・・・心配ね」

 人前では敬語を使うが、キラと二人きりの時は、友人と同じように接してくれるマリュー。

 一番に気心の知れているマリューに安堵を覚えながらも、キラはトリィのことに思いを馳せる。

 「はい・・・・・。あの、マリューさん?」

 カチリ、と音をたてながら食器を手放し、マリューを見据えた。

 その真剣な目に何か感じ取ったのか、マリューも食器を皿の上に置いて、キラの視線を受け止めた。

 「何かしら?」

 キラはしばし逡巡するが、すぐに口を開く。

 「僕、外に・・・・・トリィを探しに、行きたいんです。・・・ダメ、ですか?」

 これまでも、何度か城の外に無断で行ったことはある。

 その度に、マリューに手伝ってもらって、キラはその度に父に知られることなく外の空気を吸いに行けたのだ。

 けれど、その都度マリューに迷惑をかけてしまっていることも、勿論だが自覚している。

 「・・・・・大事な、鳥なんでしょう?」

 知らずのうちに俯かせていた顔を、ゆっくりと上げる。

 「若しかしたら、何か事故にでも巻き込まれたのかもしれないわ。最近、この辺りの森では、獣がたくさん出没するらしいから」

 心配そうに瞳を揺らしながら、キラを見る。

 「行って上げなさい。あなたがトリィを必要なように、トリィもあなたを必要としてるはずだわ」

 そう言って、クスリと苦笑をしてみせる。

 キラにも自然と苦笑がこぼれた。

 「ありがとうございます、マリューさん」

 そうしてキラは、外に出られることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 草を踏む度に、鼻腔を突く匂い。

 けれどそれは、決して不快なものではなかった。

 「しかし、まさかあれほどそっくりとは思わなかった」

 そう言う青年は黒髪を後ろで一つに括り、斜め後ろを肩越しにちらりと見る。

 「私も、あれには驚きましたよ。心配ですか?」

 そう言って前方の青年を見ながら問う男は、顔の上半分を銀色の仮面で覆い隠している。

 「当たり前だ。一応アレは、今は『アスラン・ザラ・ヴェサリウス』として玉座に座っているんだ。少しでもヘマをすれば、頭のいい連中ならすぐに

わかるだろうからな」

 ふいと顔を逸らし、ほんの少し声のトーンを下げる。

 その言葉に、男性はフッと笑って答えた。

 「確かに。ですが、それでもあの者に任せるという最終判断は、貴方がしたのです。その時は、全責任、貴方が負うことになるのをお忘れなく」

 その言葉に、前方を歩く青年は苦笑を零した。

 「わかっているさ。その時はその時だ。今は心配いらない」

 その返答に、男性もフッと笑って返した。

 「その言葉、信じていますよ」

 そうして二人は、さらに森の奥へと進み続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一、二時間程たっただろうか。

 突然男性は足を止めた。

 「では私はここで。また、報告しに参ります」

 「そうか。くれぐれも、気をつけてな」

 青年は真剣な目を向け、男性の声にそう返した。

 「ええ。そのように心配なさる必要はないと思いますが。・・・なるべく早めに報告に参ります。貴方様こそ、くれぐれも無茶はなさらないように。

行動を起こすのは、私が報告に参ってからにしてくださらないと・・・」

 そう言って苦笑を浮かべた男に、青年も苦笑で返す。

 「ああ。兎に角まずは情報収集だ。よろしく頼んだぞ、クルーゼ」

 青年はそう言って、目の前の男、ラウ・ル・クルーゼを真っ直ぐと見据えた。

 「畏まりました、アスラン国王陛下」

 そう言って恭しく深々と頭を垂れ、ラウはその場を立ち去った。

 後に残された青年、アスラン・ザラ、ヴェサリウスは、その後姿を静かに見送った。

 そして、その姿に少し名残惜しさを感じつつも、アスランは再び歩み始めた。

 目指すはアース帝国。

 異国の民であるアスランが、そう易々と城の中に入れるわけが無いことは予想済みなので、取り敢えずまずは城下町を目指す。

 そこでラウからの報告を待ち、情報を仕入れた後に行動を起こそうという手筈になっている。

 国を自分そっくりなどこの馬の骨とも知らない青年に任せ、アスランは復讐の為にアース帝国を目指す。

 ムルタ・アズラエル・アースという男は、ただ国を欲するが為に、奇襲をかけたのだ。

 その為に散った命は、少なくない。

 その中にアスランの両親があった。

 優しく、真っ直ぐで、国民のことを第一に考え、アスランがこの上なく尊敬していた両親だった。

 誰にでも自慢できる、そんな両親だった。

 けれどその命は儚くて。

 アスランが目を放した隙に、不当な輩によって無残にも消されたのだ。

 これを憎まずにいられようか。

 この世に二人しかいない両親。

 それが一夜にして奪われたアスランの悲しみと怒り、自分の不甲斐なさが、今も絶えることなくアスランの心に渦巻く。

 否、日に日にそれは大きくなるばかりで。

 その思いを、晴らすべく。

 アスランは目的の場所に向かって歩き続ける。

 その為ならどんな格好をしても構わない。プライドだって捨てる。

 アスランは常では着得なかった民の着るような簡素な服を着、腰帯に柄の部分をさらしで巻いた長剣をさし、翡翠の輝きを持つ双眸を煌かせた。

 この髪もヴェサリウスを出立する時、自分の身代わりとなった者と同じ黒色に染めたのだ。

 もう直ぐ国境を超え、アース帝国の領地に入る。

 国境に近づくにつれ、顕になっていくアース国。

 多くの兵士たちが見張りに立つ中、アスランはどうしたものかと思案する。

 ラウはどこから入ったのだろうか、忍び込むべきかどうか、などと思考を巡らせる。

 そうして目に入ったのは、兵士たちの警備がない、誰も越える事は出来ないだろうと思えるほど高い、崖。

 アスランは息を呑み、周りの兵士たちに気付かれないようにそちらに向かう。

 持っていたロープ付の鍵爪を空高く放り、上の地面に根を張る木に引っ掛けた。

 グッグッ、と確かめるようにロープを引っ張り、周りに目をやった。

 兵士たちは離れている位置にいるので、こちらには気付いていないようだ。

 アスランはなるべく音をたてないように、その崖を上り始めた。

 あまりの急さに辟易してしまうが、アスランは息をほんの少し乱したほどで崖を上りきった。

 額に滲んだ汗を手の甲で拭い、辺りを見渡す。

 周りは木ばかりで、どうやらここら辺一帯は森のようだった。

 こう木ばかりでは、城も見えないし、方向もうまく掴めない。

 アスランはそう思い、近くの高めの木に登って城の方角を確認した。

 どうやらこの森は、城下町にも城にも続いているようだ。

 つまりは、どちらにしろこの森を抜けねば何も始まらないということである。

 アスランは小さく溜め息を吐き、地面に降りた。

 取り敢えず一休みをしようと、辺りを歩きながら見渡す。

 そうして遠くの方に小さな古い山小屋を見つけ、そこに向かう。

 その山小屋はお世辞にも大きいとは言えず、今はもうほとんど使われていないのだと一目でわかるほどにボロボロだった。

 立て付けの悪いドアを潜り、中に入る。

 ドアを後ろ手に閉めて見渡せば、案の定中は埃だらけで、天井には無数の蜘蛛の巣があった。

 だが、文句は言っていられない。

 一先ずの休憩地とはいえ、ここは格好の隠れ場所だ。

 兵士たちの目は遠いし、城下町からもそう遠くはない。

 もしかしたらしばらく、ここを寝床とするかもしれないのだ。

 そうなれば、この汚さは綺麗で清潔な城の中で育ったアスランには耐え難いもので。

 アスランはまず部屋の掃除からしようと、奥からバケツを見つけ出して水を汲みに外に出た。

 晴れ渡る空。雲に隠されることなく照りつける太陽は、暖かい。

 アスランはそのまま、遠くの方から薫る微かな水の匂いを頼りに歩き出した。

 そこで運命の出会いをするとは知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


あとがき

キラは人前では一言も喋りません。でもマリューさんは全て知ってるので、喋ってます。

トリィはキラが命名。アスランに貰ったわけではありませんので注意です。

アスランはオリキャラ、アレックスに国を押し付けて旅に出てます。

ラウさんは恐らく、忍者か、術者か・・・。後々わかると思います(ぶっちゃけまだ未定です)。












/ top/ U
Photo by CAPSULE BABY PHOTO