深藍のマントを羽織り、フードを目深に被ったキラはそっと後ろを振り返って目礼した。 それに答えるように、マリューはそっと口を開いた。 「くれぐれも気をつけてね。いい?夕刻までにはちゃんと帰ってくるのよ?それ以上は誤魔化しきれないわ」 極小さな声で、マリューはボソリと忠告を紡いだ。 キラはそれに頷きを返し、直ぐに足を踏み出した。 迷いなく足を急がせるキラに、マリューは不安を募らせる。 先刻から納まらない胸のざわつきに、一層眉を顰めた。 「何もなければいいけど・・・・・」 既にキラの背中は見えなくなったと言うのに、マリューはその場から動く素振りさえ見せず、ただ只管にキラの無事を祈った。 その祈りが無駄に終わることを知るのは、それから数時間後のことだった。 U 空高くから降り注ぐ太陽の光。 雲一つない快晴は、日焼けした肌に容赦なく降り注ぐ。 そんな中、大勢の男たちは休む間もなく剣を交え合っていた。 そして腕を組みながら悠然と歩き、彼らを監視するように見ている男が一人。 「フラガ隊長!!」 ふいに、その男に駆け寄ってくる兵士。 男、フラガ隊長ことムウ・ラ・フラガは、何事かと眉を顰めた。 「お客様がお見えです」 フラガの無言の問いにそう答え、兵士は彼の丁度後方にある木陰を目線で指示した。 遠目からでは細部まではっきりとわからないが、民の着るような簡素な服に金髪の長髪、そして何より特徴的なのが、顔面の上半分ほどを覆い隠すなん とも怪しげな仮面を付けている男であることがわかった。 しかし、いくら記憶を掘り起こしても、あのような男は見覚えがない。だがそれでも、確かにどこかで会ったことのあるような気分にさせられるその出 で立ちに、フラガはただただ違和感を感じざるを得なかった。 「名は聞いたのか?」 先ほどよりも眉間の皺を深くして問うと、兵士は不安げに瞳を揺らしつつも答える。 「は、はい。ラウ・ル・クルーゼ、と名乗っておりました・・・」 その名を聞くなり、フラガは瞠目し、我が目我が耳を疑った。 まさか、という疑念を抱きはすれど、心の何処かではその事実を認めてしまっている自分に、フラガは密かに奥歯を噛み締めた。 「・・・あの、隊長?」 目を見開いたきり何も反応を示そうとしないフラガを訝しんで、兵士は遠慮がちに問うた。それにハッと我に返り、フラガは慌てて兵士たちに休憩を促 した。 太陽は真上を過ぎた辺り。 皆、腹の虫が騒ぎ出す頃合なので、そう間を置くことなく昼飯に向かって行った。 その場に残ったのはこの国、アース帝国の近衛隊隊長を務めるムウ・ラ・フラガと、突然現れた男、ラウ・ル・クルーゼのみとなった。 日光は厚い遮光カーテンに遮られ、昼間だと言うのにも拘らず薄暗い室内。 そこに、二人の男が在った。 一人は大きく豪華な装飾が施されている椅子に悠然と腰掛けている金髪の男。 年の頃は三十路を少し過ぎた辺りであろう。未だ若々しく、しかしその表情は嫌みたっぷりの笑みを浮かべて前方の男を見据えていた。 一方、その金髪の男の前に佇む男はと言うと、短い銀髪を特徴とし、その背筋を真っ直ぐと伸ばして目の前の金髪の男に苦々しい表情を向けていた。 「では、またあの部隊に行かせると仰るのですか?」 そう口を開いたのは、銀髪の男だった。彼の名はロード・ジブリールと言う。未だ三十になって間もないというのに、その働きぶりは目を見張るものが ある。 金髪の男、このアース帝国の国王たるムルタ・アズラエル・アースも、この男に絶対的な信頼を置くほどである。 「当り前じゃないですか?あの部隊の他に、一体誰が行くと言うんですか?」 ムルタの言葉に、二の句の告げないジブリール。 それもそのはず。 二人の言うところの『あの部隊』とは、この国で唯一の極秘暗殺部隊、『ファントムペイン』のことである。 十人にも満たない隊員数でありながら、その活躍は目覚ましい。 とはいえ、数年前に一度失敗してはいるが。 ジブリールはそれがあるからこそ、決断を渋っているのだ。 だがしかし、確かにファントムペインの実力は素晴らしい。 それは偏に、幼少の頃からの鍛錬と、強固なる精神の生成故であると考えられる。 「しかし、またあの時のような失敗をされたら、こちらはかなりの損害を被ることとなります」 隠してはいるが、ジブリールの表情には微かな焦りが表れていた。 宰相という国の未来を十分左右することのできる役職だからこそ、主の無謀な策を止めなければならないのだ。 だがしかし、当のムルタはというと、ジブリール言葉など露程も気にしてはいない様子である。 「問題はありません。この国に背こうなどという馬鹿な考えを持つ輩は、この世界中どこを探したって、見つかりませんよ」 だってあのヴェサリウスでさえも、兵を仕向けては来なかったのだから。 そう言葉を続けるムルタに、ジブリールは小さく眉を顰めた。 確かに四年前ファントムペインを仕向けた後、恐らくアース帝国の刺客だと気付いていながら何も仕向けてはこなかった。 だが、それとこれとは話が違う。 「ですが、用心しておいて損はございません。今は兎に角実力を上げ、もうしばらく様子を見るのが最善かと」 その言葉を聞くや否や、ムルタは盛大な溜息を吐いた。 「僕は貴方の頭のキレの良さを買っていたのですがねえ・・・。見当違い、でしたかね?」 気だるそうに頬杖を付き、眉を顰めてジブリールを見据える。 対するジブリールは何を言われるかと内心不安に駆られながら、ムルタの言葉を待った。 「何が、仰りたいので?」 「これは僕の作戦だ。たかが宰相が、僕の言うことに一々口出ししないでくれますか?」 その言葉と共に向けられた、見た者全てを射殺せそうな程に冷たい眼差しに、ジブリールの背中には悪寒が走った。 「っは・・・申し訳、ございませんでした」 慌てて頭を下げるジブリールに興味を無くしたように、ムルタはもう下がっていいですよと言って立ち上がった。 そしてカーテンの割れ目の処まで歩き、ほんの少し開ける。 眩しい太陽の光が一筋、薄暗い室内を照らした。 「失礼、させていただきます」 ジブリールには背を向けているので、ムルタの表情はわからない。 なので彼は諦めて、先程よりも一層深く頭を下げ、部屋を後にした。 ほんの少しの隙間、窓に反射したムルタの表情には、冷たい笑みが浮かんでいた。 あれから一時間程経った。 未だに、トリィは見つからない。 一体、どこに行ってしまったのだろうか。 考えたくはないが、もし死んでしまっていたらどうしようと。 キラは不安で止まりそうになる足を必死に動かしながら、歩き続けていた。勿論、周りを注意深く見ながら。 やがて遠くの方に湖が見えてきた。 木々の合間から覗くエメラルドグリーンに、もしかしたら水を飲んでいるかも知れないと、キラは足を速めた。 だがそれは徐々に、遅くなる。 近付くに連れ、はっきりと視界に入ってくる血溜まり。 焦る気持ちが、キラの思考を支配した。 「トリィ!!」 父親の言いつけも忘れ、思わず口をついて出た叫び声。 それに反応するモノは、今ここにはない。 いつの間にか駈け出していた足は、血溜まりのすぐそこまで来て止まった。 案の定そこには、綺麗なメタリックグリーンの全身を真っ赤な赤で穢し、横たわっているトリィの姿があった。 キラはそれを見るなり、身を屈めてトリィに触れようと手を伸ばした。 しかし、それがトリィに触れることはなかった。 何故なら、突然獣の地を這い唸るような声が聞こえたからだ。 咄嗟にその声がした方向を振り返ると、予想通り何匹かの狼たちが物欲しそうに涎を滴らせながら、こちらを睨み据えていた。 「っ!!??」 慌ててトリィを抱えて立ち上がろうとしたが、それよりも早く狼たちが襲いかかって来た。 キラはすぐにトリィを手に取り、転がって狼の攻撃を避けた。 間を置くことなく立ち上がり、今度はキラが狼たちを睨み据えた。 数はおよそ十匹くらいだろう。 キラは素早く懐から短剣を取り出し、構える。 いくら剣の腕は確かでも、相手は人間ではなく感情を持たぬ獣だ。 生憎とキラは、狼の心理状態まで把握することはできないので、相手の動きを予測仕切れない。 ジリリ、と後退するが、直ぐにそれは止まった。 すぐ後ろは、見た目とは裏腹に深い、湖だ。 額に脂汗が滲む。 短剣を握る手が、小刻みに震える。 そんな中、左手に抱えられたトリィが微かに動いているのがわかって、内心ほっとした。 暫しの間の後、先に動いたのは狼たちの方だった。 上体を低くし、狙いを定めるかのように唸る。 来る、と思った次の瞬間、狼たちは一斉にキラに襲い掛かった。 木の陰にでも隠れていたのだろうか、予想以上に多い狼たちに、キラは目を見張って思わず足を一歩後ろにずらしてしまった。 そして次の瞬間、身体が水面に当たる音と衝撃、そして息苦しさを感じて一瞬目を瞑る。 服の重さでどんどん沈んで行く身体。 脱ぎ捨ててしまおうとは思うが、如何せん水の中なので思うように身動きが取れない。 空気を求めて上に上がりながら服を脱ぐのは至難の業と言えよう。 漸くマントを脱ぎ棄てるが、服の重さは大して変わらない。それどころか、先程よりも下に沈んで行ってしまっているではないか。 キラの中に焦燥感が生まれる。 早くしなければ、本当に息絶えてしまう。 上には狼たちが、キラが上がってくるのを今か今かと待ち構えていることであろう。 そう思い、水に触れる眼を酷使して上を睨み上げた。 すると、何故だろう。 水面を覗き込んでいるはずの狼たちの姿は最早なく、あるのはまるで漆黒の闇のような黒。 訝しんで更に目を凝らして見てみれば、それはどうやら人の頭のようだった。 その人影は必死に手を伸ばしてくるが、届かないと悟り諦めたのか手を引っ込めた。 何故だかキラはその行動に、果てしない落胆を覚えたのだが。 しかしそれはすぐに、息苦しさと身体の倦怠感にどうでもよくなる。 だがキラは無意識のうちに、手を伸ばしていた。 彼の夜闇に向かって、真っ直ぐに。 そしてエメラルドグリーンが白に変わるのと同時に、キラは意識を手放した。 ベッドをほんの少し壁沿いにずらすと、そこには幼子一人通れそうな程の小さな穴が存在していた。 それに気づいたのはごく最近のことで、キラはよく暇潰しにその穴を除き見ていた。 誰も使っていないベッド。その下から覗くことのできる、向こうの世界。 そこではいつも、キラと同じくらいの歳の子供たちが苦しそうに息を吐きながら大人たちにいびられていた。 来る日も来る日もそれは変わらず、ただ無情に時が過ぎて行った。 ある日、直ぐ近くから音が聞こえてキラは目を覚ました。 穴は丁度枕側にあるので、とても近い。 不思議に思い、起き上がっていつものようにそっとベッドをずらして穴を覗き込む。 すると、壁一枚隔てた向こう側にあるベッドの上から、人の息遣いが聞こえてきた。 ベッドの上は流石にそれをずらさなければ見えないので、キラはポンポンと軽く真白のシーツ越しにベッドを叩いた。 『ね、起きてる?』 それと同時にかける、声。キラの腹時計が確かであれば、今は恐らく夜中の12時過ぎであろう。 もしかしたら相手は子供かもしれない。子供は本来睡眠を強く欲するものであるから、相手の睡眠は予想以上に深いかもしれない。 それでも、キラはベッドを叩き続けた。 早く起きて。早く喋ってみたい。 その思いだけが、ベッドを叩き続けていた。 キラは今まで、一度も同年代の子供たちと言葉を交わしたことがなかった。 だから、話してみたかった。 子供ならではの好奇心が、キラを突き動かしていたのだ。 キラにとっては長くても、実際の時間はほんの数秒だ。 壁の向こう側にいるであろう人物は、恐る恐ると言った体であろうことを予想させるほどに緩慢な動作で、キラと同じようにベッドをずらした。 そうして壁とベッドの間にしゃがみ込み、大人では通り得ることができない小さな穴を覗き込んだ。 そして、かち合うアメジストとエメラルド。 それが彼との、アスランとの出会いだった。 目を開けると、一番に目に飛び込んできたのは、木々の緑であった。 倦怠感の抜けきらない身体。首をほんの少し動かして、キラは辺りを見渡した。 すると、どこか見覚えのある、漆黒があった。 「・・・・・ぁ・・・」 小さく吐息を洩らす。思ったように上手く声が出ない。 「気が、ついたか?」 そう言って見下ろしてくる青年の瞳は、先程まで夢に見ていたエメラルドと同じ輝きを持っているように感じた。 だから、キラは口を動かした。 「アス、ラ・・・ン・・・・・?」 その瞬間、身体をピクリと揺らし、目を大きく見張る様は、動揺を隠せないと言ったも同然だった。 「あり、がとう・・・。忘れないでいて、くれたんだね?」 あの時の約束を未だ、君は覚えていてくれたんだねと。 もう十数年も昔のことに、キラは思いを馳せた。 忘れないでと、言った。 忘れないよと、言ってくれた。 だからまた、会いに来てくれたのだと。 だからきっと、助けに来てくれたのだと。 だがしかし、彼の反応はキラの予想を裏切るもので。 「・・・何のことだ?俺はアスランじゃない。・・・アレックス・ディノだ」 今度は、キラの瞳が大きく見開かれた。 風に揺られ、木々が揺れる。 葉が擦れる音が虚しく、辺りに響き渡った午後。 湖の淵に二人、男女が見つめ合っていた。 あとがき 本当に長らくお待たせしました。 もう、何か月ぶりになりますかね? きのこ部屋よりもサボっているような気がします。 本当にすみませんでした。 兎にも角にも、第二話です。 まだ二話。さっさと更新しろよって感じですよね。 またしても時間かかりそうですが、気長に更新を待っていて下さると光栄です。 |