突然の突風。 それと同時に、物凄い勢いで炎が踊りだす。 アスランは咄嗟にカルトを自らの手の内に戻して包み込んだ。 なるべく炎に触れないように、身体を丸めながら瞼を固く閉じてやり過ごす。 あまりに強い風に、建物もが揺らぐ。 足に力を入れ、倒れないように堪える。それはイザークも同じことで。 「・・・っく・・・・・」 思わず漏れた呻きは、炎の音に掻き消された。 一瞬の間を置き、漸く風が治まる。 アスランは今の内に、とイザークを促した。 カルトはそのまま、アスランが抱き抱えていたが。 漸く二階に着くと、そこはもう火の海で。 イザークは早く、とアスランを急かし、先に行かせた。 「早くカルトを外に。もたもたするな!!」 荒げられる声に、アスランは焦燥感を募らせた。 わかっている、と頷きながら返し、そのまま階段を下る。 だが、それも束の間。 グラリ、と階段が傾いだ。 否、正確には落下しそうになっているのだ。 三階の部分に取り付けられたビスが、先程の強風で階段を支え切れなくなったのだろう。 堪らず足を滑らせたアスランと、彼が抱き抱えたままのカルトを支えたのは、まだ二階の床に足をつけている、イザークの腕だっ た。 「っくそ・・・・・」 一人は子供とはいえ、先程から防いではいるものの、かなりの量の煙を吸ってしまっている。 体力が落ちているのは、必然的なことだ。 イザークは靄がかかったかのような視界に自分を叱咤し、必死に二人を離すまいとアスランの手首を掴んでいた。 「・・・っこの子、だけでも!!」 アスランはそう言って、カルトを上のイザークの元へ押し上げようとする。 だがそれを、下から聞こえた声が止めた。 「おいっアスラン!!大丈夫か!?」 それはまるで、天からの救いのようだった。 いつの間に着いたのだろうか。 そこには、消防車に備え付けられている梯子を伸ばしてこちらに向かって来るアスランの同僚たちの姿があった。 イザークとアスランの表情が、安堵に緩んだ。 W 梯子を伸ばし、今にも落ちそうだったアスランと、彼に抱えられているカルトを救出する。 「いったん、下に行くぞ」 その言葉に、アスランは怪訝そうにディアッカを見やった。 「・・・人数制限だ。流石に、大人三人はキツイだろう?」 アスランの疑問を感じたのか、ディアッカは溜め息混じりに答える。 「なら、俺が降りる。それなら文句はないだろう?」 半ば睨むように言い、ディアッカは一瞬困惑するが、すぐに駄目出しをする。 「だめだ。言っとくが、今は時間がないんだ。こんなことで揉めてる間にも、炎は刻一刻と広がって行くんだぜ?」 お前も消防士なら、わかるだろう?そう言外に告げ、ディアッカは梯子の操作を始める。 だが、アスランは咄嗟にそれを、自らの手をディアッカの手に重ねることで止めた。 「俺は大丈夫だ。イザークを、先に」 わかっている。消防士として、ここでやらねばならないことぐらい。 だが。 どうしても、アスランの脳裏にキラのあの悲しそうな表情がちらつき、どんなに頭を振ろうにも、消えはしないのだ。 どんなに自分が、消防士としての職務を果たそうと思っても、キラの声がそれに歯止めをかける。 『・・・・・カルト・・・息子が・・・・・・・』 震えていた。 きっと、大事なものをなくしてしまいそうで、怖かったのだろう。 『イザーク、も・・・息子を助けに、さっき・・・・・』 何故、幸せを奪われなければならないのかと、怒りも感じていることだろう。 零れる嗚咽に、自分は何と言った? 『イザークも、ヤマトの息子さんも、必ず助ける』 心の奥底に、仕舞っていた想い。 彼女がイザークと結婚したと知って、心の奥底に仕舞ったと思っていたのに。 なのに。 彼女を想う気持ちは、あの頃とは変わっていなかったことに気づいた。 それどころか、以前よりも大きくなっているような気がする。 それでも。 自分の気持ちをわかっていても。 イザークや彼らの子供を助けて、また元通りの幸せな人生を歩んで欲しいと。 そう思える自分がいることに、自嘲と安堵を覚えた。 自分はどれだけ、お人好しなのだろうと。 それでも、彼女の幸せを一番に考えてあげられるほどの余裕があることに、安堵した。 だからこそ、ここは譲ることが出来ないのだ。 しかし。 「馬鹿にするな、アスラン。俺は問題ない。お前が先に行け」 眉間に皺を寄せ、どこか焦りさえ窺える表情で言うイザークに、アスランはしかし・・・と言葉を濁す。 「俺はお前に、カルトを預けた。だからお前が責任を持って下に連れて行け」 そういうイザークは、本当に焦っていて。 いつまでもここにいて、揉めている暇は無いのだと、思い知らされるようで。 「だが、それはっ・・・・・」 けれどやはり、譲れなくて。 「いい加減にしろ、アスラン!!・・・イザークだって、そんな柔じゃない。少しの間だけなんだ。だから・・・」 ディアッカの言葉が、まるでイザークの言葉の代弁にも聞こえて。 「・・・っ出来ない・・・俺は!!」 更に言い募ろうとするが、それはやはりイザークの一言によって止められる。 「そんなことをグダグダ言ってると、落とすぞ?」 ついに痺れを切らしたのか、イザークは声音を一層低くした。 その一言が決定打だ。 早くしろと。 早くしないと、カルトが手遅れになってしまうからと。 そう、聞こえたような気もしたから。 だから。 「・・・・・・・・・・わかった」 アスランは渋々ながらも頷き、ディアッカの手から離れた。 「本当に、大丈夫なんだな?」 確認するアスランに、イザークは鼻を鳴らした。 「さっさと行け。それとも何か?民間人を後回しにしたと、消防署の評判を落とされるのがそんなに嫌か?」 怒鳴るでもなく、ただ不機嫌そうに言うイザークに、アスランは歯切れ悪く。 「そんなこと、あるわけないだろう。・・・兎に角、すぐ戻るから。それまで、動くなよ」 イザークは了承したという合図からか、アスランの隣のディアッカに目配せする。 実は、ディアッカはイザークの幼馴染でもあるのだ。 ディアッカは、イザークの視線だけで彼が何を言いたいのかを悟ってしまう。 物心ついた時にはもう、お互いの存在が当たり前のようだったから。 「ほらアスラン、行くぞ。さっさとこの子を降ろして、助けないとな?」 自身の拭いきれない不安を払拭するかのように、ディアッカは務めて明るく言う。 どちらにしろ、早くここから離れなければ、建物事態が崩れてしまう恐れがあるからだ。 ディアッカはアスランの不安そうな表情を無視して、梯子を下らせた。 「そんな・・・・・どう、して・・・?」 うわ言のように唇を振るわせる声。 キラは目を見開き、戦慄いた。 どうして、どうして・・・と何度も繰り返して。 気がついたら、彼らに駆け寄っていた。 アスランの肩を掴み、眉間に皺を寄せ、我を忘れたように、ただ我武者羅に叫ぶ。 「どうして・・・・・どうして、イザークを助けないの!?あなたたち、消防士でしょう!?なんで・・・なんで、イザークじゃ なくて、あなたがここに・・・いるの・・・・・」 それは徐々に覇気をなくし、ほんの小さな響きに変わっていった。 アスランは自身に怒声を浴びせたキラに、どう接していいのかわからなかった。 最早、このアパートも限界だ。 いつ崩壊してもおかしくない。 けれど、まだ完全に倒れたわけではないのは確かだ。 アスランは俯くキラの細い肩を掴み、強い眼差しを彼女の前髪に向けた。 「大丈夫だ。今から、助ける・・・だから・・・」 だから君は、もっと安全な場所に避難していてくれ・・・と、言おうとしたけれど。 それは、あまりに大きな轟音に掻き消されることとなった。 キラの紫水晶は、信じられないものを見たとでも言うように、焦点を定めず。 そしてその先には。 ゆっくりと、まるで世界がスローモーションになったかのように。 それは、物凄い音と共に崩れていった。 「・・・ぁ・・・・・い、ゃ・・・・・」 声が、掠れて。 ゆっくりと左右に振る首に、ソレを見続ける紫水晶。 実際は、ほんの数秒の出来事。 今のキラにわかるのは、愛する夫が、アノ炎の中に、未だ取り残されているということと。 目の前にいる男が、彼を、イザークを、アソコに取り残してきたということだけだった。 「いやああぁあぁぁぁ・・・!!!!!」 言いようもない悲しみ。 表し切れない憎しみ。 様々な感情が、耳を劈くような叫び声に乗って空気を振るわせた。 両手で顔を覆い、世界の全てを遮断するかのように、地面にくず折れるキラ。 彼女の姿を同情の目で見る消防士たちや野次馬。 だが、アスランだけが違った。 ただ一点を、今さっき崩れたばかりのアパートを、じっと睨み据えていた。 やりきれないとでも言うかのように。 遣る瀬無さばかりが募るとでも言うように。 心の中で、どうして、どうして・・・と、ただそれだけを繰り返す。 自分があの時、イザークを優先させていれば。 自分があの時、イザークの後から階段を下りていれば。 自分があの時、カルトをイザークに預けていれば。 後悔だけが、アスランの心を支配していた。 否、本当は全てわかっていたんだ。 本当の理由は、あの場所でいつまでも揉めていたことだということを。 あの時、一分でも、一秒でも早く自分が決断していれば、崩れる前に助けることが出来たかもしれないのに。 どうして自分は、あの時あんなにも迷ってしまったのか。 それはただ、キラを、否、被害者を想う気持ち故。 そう。 自分は甘い。消防士として。 それでも、信頼してくれる仲間がいることに、天狗になっていたのかもしれない。 それが、こんな結果を招くことになるなんて。 最早、キラの顔を見れるほどの余裕はなかった。 否、見れなかった。 ただ君を想っていただけなのに。 密かに抱いていた気持ちが、まさか。 こんなにも大きな罪に繋がるとは、思っても見なかった。 ふと、隣で蹲っているキラのすすり泣く声が耳に届いた。 ああ、どうして・・・。 彼女が悲しんでいるのに。 どうして自分は、何もできないのだろう。 否。 できることがあるではないか。 それこそ、消防士である自分にしかできないことが。 アスランはバッと顔を上げ、燃え上がる炎を目指して走り出した。 望みを捨ててはいけない。 それは、アスランが消防士になった時に自分自身に決めた教訓だからだ。 たとえそれが、たった1%の確率でも。 彼女が、キラが幸せになってくれるのならばと。 アスランは迷わず、炎の中に飛び込んだ。 後ろで、自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。 そこら辺一帯の地面を覆い隠す程の瓦礫に、それらに纏いつくように、勢いを無くすことなく燃え続ける炎。 アスランは近くまで走り寄ると、一度辺りを見回した。 「っくそ・・・!」 苦々しげに悪態を吐き、階段のあったであろう場所を目で探す。 そうしているうちに、探している鉄の階段が、意外と近くにあったことに気づく。 炎が邪魔で、探し難い。 「おい、アスラン!!まずは消火だ、下がれ!!!」 後方からディアッカの声が聞こえるが、無視をする。 火を消してからじゃ、遅すぎる。 それがアスランの、判断だった。 ふと、瓦礫が小さく動いた気がした。 風も吹いていないのに。 そう思い、ハッとする。もしや、と。 アスランはそう思い至るなり、今さっき動いたであろう瓦礫に走り寄った。 幸いそこには炎は少なく、素手でもそう被害はない。 アスランはその瓦礫を退け、下にいるであろう人物を顕にした。 案の定、そこに横たわっていたのは、キラの夫、イザークだった。 「・・・イザーク・・・・・」 ホッとするのも束の間、彼に負担をかけないように抱え上げ、その場を離れる。 ある程度炎から離れて、息があるかどうかを確認する。 彼の青白い首に手をあて、慎重に脈をとる。 「・・・・・っ!!」 瞬間、アスランの表情が歓喜に綻んだ。 同時に、早急に手当てをしなければと。 一刻の猶予も許されない。 確かに脈は触れてはいたが、それは弱く彼に生命の危機が訪れようとしていることに焦燥感が募る。 アスランは足早に、救急隊の元に向かった。 「イザークっ!!」 張り裂けんばかりの声で叫びながら、アスランに抱え上げられているイザークの元に走り寄るキラ。 アスランを気に留めることなくイザークに近付き、彼の頬を両手で包み込んだ。 「・・・よかった・・・・・」 瞳一杯に、歓喜の涙を溜める。 ふわりと微笑めば、涙がポロリと頬を伝った。 「・・・今は手当てが先だ。退いて」 アスランは険しいままの表情でキラに言う。 早く手当てをしなければ、手遅れになる可能性だってあるのだ。 キラはそのことに気付き、名残惜しそうに手を離してゆっくりと後退した。 アスランはそれを確認するや否や、颯爽と救護班の方に向かい、イザークを担架に乗せる。 そしてその担架は、救急車の中に収容されていった。 アスランは消火活動があるので、後の事は任せる、と救護班の人に言うと、さっさとこの場を後にした。 キラは救急車に乗り込むと、酸素マスクを装着されたイザークの顔を覗き見た。 その顔面には所々火傷があって、赤みを帯びている。 顔だけでなく、体中も火傷をしているようで、キラは悲しげに眉を顰めた。 「がんばって・・・・・イザーク・・・」 今はそれしか、かける言葉が思いつかなかった。 あまり火傷の酷くない方の手を取って、両手で優しく包み込む。 痛みに苦しむ夫の顔を見つめながら、何度も何度も狂ったように名を呼び続ける。 「・・・イザーク・・・・・お願・・・イザー・・・ク・・・・・・・」 頑張って、頑張って・・・と、心から願う。 その願いに答えるかのように、イザークの指が小さく動いたような気がして、キラはハッと目を見張った。 「っイザーク!?」 薄らと見えるアイスブルーに、キラは安堵した。 意識が戻ったようだ。 「イザーク、わかる?キラだよ?」 身を乗り出し、イザークの反応を窺う。 イザークは徐にキラに視線を移し、僅かだがその表情を綻ばせた。 「よかっ・・・・・本当に、よかった・・・」 泣き笑いを浮かべれば、イザークは小さく苦笑する。 そして僅かに、口を開いた。 「・・・・・・・・く、な・・・」 声が掠れていて聞き取り辛く、キラは彼の口許に耳を寄せた。 「・・・何が、あっても・・・・・泣く、な・・・・・」 まるでそれが、最期の言葉のように感じられて、キラは信じられないとばかりに目を見張る。 「な・・・に・・・・・言ってる・・・」 「カルトを・・・・・頼む・・・・・」 キラの言葉を遮るように、イザークは声を絞り出した。 それがまるで、自分にはもう時間がないんだと言っているようで。 キラはゆるゆると力なく首を左右に振る。 それではまるで、遺言ではないか、と。 「何言ってるの!?僕を泣き止ませられるのは、君しかいないんだよ?・・・カルトと、僕と、三人で暮らすの・・・・・・君が いなくちゃ・・・・・」 だが言葉は最後まで続かず。 それは傍にあった機械音に掻き消された。 ピーーーーー・・・・・と、長く甲高い電子音が、キラの脳内にも嫌と言うくらい響き渡っていった。 するりと、キラの手の中のイザークの手が、滑り落ちた。 |
photo by LOSTPIA
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