「ただいま」

 そう言いながら、キラはアスランがいるであろう居間に向かう。

 だが、一向に返って来ない返事に、キラはふと足を止める。

 注意深く気配を探っても、人の気配はない。

 耳を澄ましても、なんの音も聞こえてこない。

 キラの中に、焦燥感が生まれる。

 止めた足を、先程よりも早足で動かす。

 居間に行けば、やはりそこにアスランの姿はなかった。

 何故だろう、いつもよりも部屋が綺麗になっている気がした。

 「・・・・・アスラン・・・?」

 小さく彼の名を紡げど、返事が返って来る筈もなく。

 それでもキラは部屋中を見渡す。

 「アスラン、僕だよ?キラ、だよ・・・?」

 徐々に小さくなる声は、彼の返事も、気配さえもないから。

 ふと、視界の端に捉えた紙切れ。

 キラが家を出る前までは、なかったはずだ。

 それはカウンターの端の方に、置いてあった。

 キラは徐にそれに近付き、手に取った。

 流麗な文字で綴られた、短い文章。

 それが、彼からキラへの最後の言葉だと、否応なく語る。

 無意識の内に込み上げる涙は、頬を伝い、床に落ちる。

 まただ、とキラは床に崩れるようにして座り込んだ。

 彼からの手紙をその胸に、まるで割れ物でも扱うかのように両の手で抱き込み、俯く。

 零れる嗚咽を必死で隠し、何度も何度も頭を振りながら、これは仕方のないことなのだと自らに言い聞かせた。

 彼は優しいから、きっとキラに迷惑をかけたくなどなかったのだろうと、容易に予想することが出来たからこそ。

 自分も、彼に迷惑をかけたくないから、我慢するのだ。

 彼に会いたいのを、必死に堪えて。

 彼を探し回りたいのを、必死に堪えて。

 ただ、彼の無事を祈ることに、留める。

 そうでなければきっと、彼の決意を無駄にしてしまうような気がしたから。

 だからキラは、今にも家を飛び出していきそうな身体を、必死の思いで食い止めているのだ。

 いっそのこと、彼の言葉通りに忘れてしまった方がいいのかもしれない。

 けれど、ほんの数日だけど、彼と共に過ごした日々は、到底忘れられるものではないのだ。

 いつの間にか芽生えた心に、今更ながらも気付いてしまったから。

 最初はただの、親切心。

 けれど今は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 「じゃあ、行ってくるわね」

 「戸締りは、ちゃんとするんだぞ」

 そう言って、二人は微笑みながら愛しそうに娘の髪を撫でる。

 「・・・・・ん、いってらっしゃい・・・・・・・・・・」

 キラは昨日まで文化祭で忙しかった為、未だに布団の中で蹲っていたのだ。

 両親はそんなキラに苦笑を溢し、もう一度行って来ますと言って家を出て行った。

 その日は両親の結婚記念日で、二人仲良く旅行に行くのだと聞いていた。

 後に残ったのは、キラだけ。

 まさかこれが、永久の別れになるとは、一体誰が予想し得ただろうか。

 それから何時間たっただろうか。

 突然の、訃報。

 家にかかってきた、一本の電話。

 『あなたのご両親が先刻、亡くなられました』

 出かける前に言われた言いつけも守らず、戸締りせずに慌てて家を飛び出した。

 そして辿り着いた、部屋。

 そこには、両親が二人並んで眠っていた。

 顔は真っ白な布で覆われ、息など訪うの昔に忘れ去ってしまったかのようにしてなくて。

 最初は、実感が湧かなかった。

 ただ、眠ったふりをしているだけなんじゃないかと、思った。

 けれど時間が経つに連れて、両親がもうこの世にはいないことを実感していって。

 冷たささえも感じさせるあの真白の布の感触を、今も鮮明に覚えている。

 込み上げる涙。

 零れる嗚咽。

 けれど両親の目の前だからと、必死に抑えて、自分を押し込めて。

 突然いなくなってしまった、家族。

 寂しさに、押し潰されそうだった。

 何人もの友達に、励まされただろう。

 何人もの親戚に、家においでと言われただろう。

 何もかも突っ撥ねて、結局一人になって、寂しくて。

 素直になれない自分が、嫌で。

 それでも、時は無常なもので。

 あれからもう、五年も経った。

 寂しさなんて、忘れたと思ってたのに。

 もう寂しさなんて、平気だと思ってたのに。

 彼に、アスランに会ってから、また、昔の自分に戻ったような気がした。

 自分でもわかるくらい甘えたで、寂しがりやな自分。

 それでも彼は、こんな自分の心配をしてくれる。

 ああ、どうして彼は、こんなにも優しいのだろう。

 だから、こんな目に遭うんだ。

 家族を失って、重い罪を押し付けられて。

 それでも、そんな彼だから。

 全てを正しく導こうとしている彼だから。

 キラは、彼に惹かれたのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『キラへ

 

 危険を顧みず、助けてくれてありがとう。

 それと、こんなことに巻き込んでしまってすまない。

 俺の事は、忘れてくれ。

 君が幸せになってくれることを、祈っているよ



                     アスラン』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何度も、何度も読み返す。

 その度に溢れる涙を止める術など、キラは知らない。

 そして、泣き続けて、泣き続けて。

 どのくらい、経った頃だろうか。

 キラはふと顔を上げて、時計を見上げた。

 まだ夜の七時を回って間もない。

 それを確認して、キラは立ち上がって真っ直ぐに自分の部屋に駆け入る。

 そしてPCを立ち上げ、カタカタとキーボードを叩き始めた。

 常人には付いてはいけない程の速さで、次々に打ち出される単語。

 そう間も置かぬうちに、画面に広がる情報の数々。

 キラは慎重に、その中に潜り込む。

 そうして程なくして見つけた情報を、携帯で打ち出してそのまま通話ボタンを押せば、難なくかかる、コール音。

 この行為が犯罪だとわかってはいるが、キラは早く知りたかった。

 何よりも、彼の安全を。

 忘れるなんて出来るわけがない。

 彼の迷惑に、なるかもしれない。

 けれど、これだけは知りたかった。知っておきたかった。

 もしもの時はまた、隠れ蓑になっても構わない。寧ろ、大歓迎だ。

 彼だから。

 他の誰でもない、アスランだから。

 頼ってくれるのならば、いくらでもこの肩を貸そう。

 危険な目に遭うよりも。

 彼がいなくなるよりも。

 彼の傍にいられることこそが、自分自身の幸せなのだから。

 けれどそれは、彼の優しさが邪魔をする。

 だから今は、彼の無事を示す情報だけでも欲しかった。

 そして。

 『はい、どちら様でしょうか』

 若い、女性の声だ。

 恐らく、あの人の家のメイドであろう。

 「ジュール先輩の、御宅ですよね?ぼ・・・私、キラ・ヤマトと申します。イザークさんに、お取次ぎをお願いしたいのですが・・・」

 そう言うと、しばらくの、間。

 保留音が流れ、その曲がパッフェルベルのカノンだと気付き、キラは小さく目を丸くした。

 本人は隠しているつもりでも、彼がある意味熱い性格なのは知っている。

 そんな彼が、このようなゆったりとした、静かな曲を保留音にするとは、なんだか意外だ。

 まあどうせ、彼の母などが選んだのだろうが。

 などと苦笑を浮かべているうちに、お待たせしましたと声が返ってくる。

 しかし、先程のメイドの声ではない。

 もっと壮年な、凛々しい女性の声。

 「あ、あの、私、キラ・ヤマトという者なのですが、今イザーク先輩はいらっしゃらないのですか?」

 そう尋ねると、受話器の向こうで僅かに驚いた気配。

 一体何だと言うのだ。

 『あら、それはごめんなさい。あなた、イザークの後輩なのかしら?』

 その返答に、キラは直ぐにはいと答えたが、ふと首を傾げる。

 まさか。

 「あの・・・・・」

 『ああ、言い忘れていましたね。私はイザークの母です。息子がお世話になっているようで・・・』

 キラの様子に気付いたのか、女性はそう切り替えしてきた。

 なるほど。イザークの母だったのか、とキラは内心で納得した。

 『息子はまだ会社にいます。今日会社を抜け出したから、そのツケが回ってきたのね』

 と、イザークの母エザリアは笑いながら言う。

 『若しかして、貴女のところに行っていたのかも知れないわね』

 そう続けられた彼女の言葉には、流石のキラもドキリとした。

 なんだか、秘密に付き合っていた恋人の親が、子供の恋路に気付いたような、そんな感じだ。

 それは有り得ない事だが、しかしエザリアの言ったことは当たっている。

 確かにイザークはキラの家に来た。

 そういえば、会社を抜け出してきたとも言っていた。

 「あ・・・・・え、と、それで、先輩は何時ごろ戻られますか?」

 慌てて誤魔化しつつもそう問うと、今日は無理かもしれないわ、との返事が返ってくる。

 「え・・・・・」

 『貴女も、知っているでしょう?うちの会社、今大変なの。私も会社にいなくてはならないのだけど、あの子にさっさと帰って休めと言われてしまったからね』

 ほんの少しだけ下げられた声のトーンに、アスランの悲しそうな表情を思い出す。

 ごくたまに、ちらりと覗く悲しそうな翡翠が、今も頭から離れない。

 『携帯番号、教えましょうか?』

 「へ・・・・・?」

 突然のエザリアの言葉に、キラは一瞬何を言われたのかわからなかった。

 果たして母が軽々しく息子の携帯番号を他人に教えていいのだろうか。

 『実は貴女のこと、イザークからよく聞いてたのよ。ほら、大学時代、サークルとかで一緒にいたでしょう?』

 「え、ええ、まあ」

 『イザークには、私が教えたって言ってくれて構わないわ。寧ろ大歓迎だと思うから』

 その言葉に首を傾げるも、聞こえてきた番号を慌てて傍らのメモに走り書きする。

 「あの、ありがとうございました」

 そう礼を言うと、エザリアはどういたしましてと言ってくる。

 『今度、家に遊びにいらっしゃい』

 「え、いや、それは・・・」

 言葉を続ける前に、それではと電話を切られてしまった。

 受話器から聞こえる、電話の切れた音。

 キラは諦めて、それを切った。

 そしてメモの電話番号を打ち、かける。

 「本当にかかっちゃった・・・」

 思わず、独り言を呟いてしまう。

 あのイザークの母という人は、意外に大物だ。

 きっとイザークは、母親の尻に敷かれているに違いない。

 などと物思いに耽っていると、コール音が途切れて変わりに青年の声が聞こえた。

 「あ、あの、僕・・・キラです」

 受話器の向こうからは、驚愕の気配が伝わってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガサリ、としばらく手入れをしていないせいか、茫々に伸びた草たちが鳴った。

 緑の草に混じって、藍色の髪が僅かに覗くほどの背丈。

 アスランは息を殺しながらも、草の中を押し進む。

 辺りに人の気配はない。

 警察も、捜査をとっくに終えている為、ここにはいない。

 頬に走る、草たちのつけた線が、チリリとした小さな痛みを感じさせる。

 そうしてそれを抜ければ、眼前に広がるは以前まで父親と住んでいた邸宅、ザラ家である。

 母が好きだったという薔薇たちは、もう既に命尽きて枯れている。

 それがまるで自分と重なるようで、アスランは自然とそれから目を逸らした。

 ギイィ・・・・・とそっと扉を開けようにも、些細な動きで軋む扉が、家の主がいなかった年月を語る。

 蜘蛛の巣や埃だらけで、しばらく誰も入っていなかったのだと知る。

 家具もほとんど以前のままで、泥棒などには入られていないのだとわかった。

 懐かしい、我が家。

 アスランはホッと、息を吐いた。

 今まで、自宅に帰る等ということは許されなかった。

 だからこそ今ここに立っていられるのが、嬉しいのだ。

 最早一生叶わぬ願いだったはずなのに、こんなにも早くここに帰ってこれるなど、嬉しいとしか言いようがない。

 だが、その嬉しさにいつまでも浸っていられるほど、自分には余裕がないのだ。

 兎に角、今知れるだけの証拠を知っておきたい。

 その為に、ここに来たのだ。

 本来ならイザークに頼んでいることだったのだが、彼が今日来れたのは、本当に奇跡のようだった。

 あの後しばらくして電話を入れてみたら、自分で行けと一蹴されてしまったからだ。

 先程までの奇跡ぶりはどうしたと反論する間もなく、電話を切られてしまったのだ。

 まあ、これもいい機会だ、とアスランは半ば開き直ってここにいるのだ。

 しばらくその場に佇んでいたアスランだったが、不意に聞こえた足音に、勢いよく振り返った。

 「誰だ!?」

 音のした方には、暗闇のみ。

 しかし、誰かいることは、なんとなくわかった。

 そして、徐々に近づいてくる、足音。

 初めに見えたのは。

 「っ!!」

 暗闇に溶け切らないほど、艶やかな黒。

 次いで響く銃声に、外の鳥たちが叫び声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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