イザークがキラの家を訪れた翌日、午前十時を回った頃。
キラがバイトに行こうと、丁度玄関で靴を履いていたその時。
ピンポーン、と半ば間抜けな音が響き、来客が来たことをキラとアスランに知らせた。
アスランは直ぐにまた台所の陰に隠れ、様子を窺うように息を潜めた。
キラははい、と答えながら玄関のドアを開いた。
「・・・イザーク、先輩?」
ドアを開いて見えた相手は、昨日訪れたばかりの先輩、イザークだった。
「悪いな、アイツに用があるんだが・・・」
そう言って中に視線をやり、言外に中に入れろと視線で語る。
「・・・・・どうぞ」
イザークが先輩であることも手伝って、キラはしばし考えると、身体を避けてイザークを中へと誘った。
「邪魔をする」
短く言って、イザークは少々無遠慮にキラの家に上がりこむ。
「おい、アスラン。出て来い」
怒鳴るでもなく、イザークはアスランを呼ぶ。
すると、そう間を置くことなくアスランが台所からひょこりと顔を出した。
「イザーク、早かったな」
微笑を浮かべながら立ち上がるアスランを半ば睨み据えながら、イザークは不機嫌そうに仕事を抜けてきたと返した。
その答えに若干驚きながらも、アスランは苦笑を浮かべた。
「それで、彼らは?」
短く問うと、イザークは一瞬キラに視線をやった。
どうやら、キラには聞かれたくない話らしい。
だが、流石のキラも、二人に気を使うほど暇ではないのだ。
これからバイトもある。
なるべくなら休む間もなく働きたいが、実際はそんなこと、大学のレポート等も考えれば無理に決まっている。
だから入れている偶の休みが、昨日。
奨学金制度を利用している為、学費の心配はない。
だが、問題は家賃だ。
一日でも休めば、それだけ家賃が払えなくなってしまう。
勿論それは、一時間でも休むと、ということにも繋がるのだ。
「悪いけど、僕これからバイトなんだ。僕一人が出て行ったら、外には君一人が残されたように見えるし・・・若しかしたら警察、張ってるかもだし」
確かに、そうなのだ。
下手な行動を取ってそこを張っていた彼らに追及されれば、逃げ場がなくなるとも考えられる。
そのことを理解していたのか、イザークはわかったとでも言うように溜め息を一つ吐いた。
「この話は後だ、アスラン」
その言葉に、仕方ないなとばかりに苦笑を浮かべたアスランに、イザークは懐から何かを取り出す。
それが何のかは、それが投げられてアスランの手に渡り、彼が不思議そうに掌を開いた時にわかった。
携帯電話だ。
「これ・・・・・」
今度こそ、アスランは本当に驚いた。
まさかイザークがこんなものまで用意してくれるとは、思っても見なかったのだ。
「大事に使えよ。料金は後で、お前に請求してやるからな」
少し照れているのか、イザークはその口調とは裏腹に、顔を逸らした頬は僅かに朱が差していた。
「ありがとう」
次の瞬間には満面の笑みを浮かべたアスランに、イザークは満更でもなさそうに鼻を鳴らした。
「さて、俺は帰る。俺の電話番号は既に入れておいた。・・・悪戯するなよ?」
不機嫌そうに付け足された言葉に、アスランは噴出す。誰が悪戯などするかと。
けれどその半面、やったらやったで反応が楽しいだろうとも考えてしまったのは事実である。
「ああ、わかった」
無難にそう答えたのを確認してから、イザークは早々に踵を返した。
向かう先は、言わずもがな玄関だ。
彼の後に、キラが続く。
そして玄関の一歩手前で振り返って。
「行って来ます、アスラン」
満面の笑顔と共にそう言われてしまったら、アスランは押し黙るしかなかった。
そして彼の瞳に、どこか寂しそうな影が差したのを、キラは知らない。
唯一事情を知るイザークだけが、そっと瞑目した。
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プルルルル・・・・・。
耳の鼓膜を震わせる音に、イザークの母であるエザリアは苛立ちを隠せない。
先程からイザークに電話をかけているが、一向に彼が出る気配がない。
何度お留守番電話サービスセンターに繋がってしまったか、知れない。
一体息子は、何処にいて何をやっているのか。
母としては、心配でたまらない。
勿論、その他にも理由はあるのだが。
エザリアはやはり電話に出ない息子に舌打ちして、携帯電話をパタリと閉じた。
そうしてから、何分か前に後にした部屋を思い浮かべる。
心の奥底で、その部屋の前の主が笑顔を見せた気がするが、それは気のせいだと切って捨てる。
今は何よりも、息子のことが大切だ。
早く彼と会話をし、彼の安全を確認したい。唯、それだけのことなのだ。
それなのに、息子は顔どころか声も聞くことが出来ない。
我が息子ながら仕事を放って何所かに行ってしまうなど、無責任にも程がある。
彼に言って減給させてしまおうか、と考えたが、それは直ぐに頭を振って制す。
『あの人』は、もういない。
この世の、何処にも。
エザリアは電話をすることを諦め、仕事に専念することにした。
きっと彼は、そんなに早く息子に手をかけることはしないだろうと思っての決断。
だが直ぐに不安感が襲い、エザリアは小さく眉を寄せた。
例え彼が未だ手をかけていないにしろ、何かしら接触してくるかも知れない。
やはり、心配だ。
エザリアは、デスクのPCを開くのを止めて立ち上がった。
携帯を指先で操作しながら、イザークの名前を探す。
そして見つけた彼の名に、アスランは失笑を隠せない。
今は未だきっと運転中だろうから、電話をかけることはしない。
生真面目な彼のことだから、してもきっと彼は出ないだろうことを予想してのことだった。
アスランは携帯をカウンターの上に置き、掃除を始める。
先日から習慣になりつつある掃除に、何故だか嵌ってしまったのだ。
掃除などという面倒なことに嵌ってしまうのは、元来几帳面な彼の性格からと言っても過言ではないだろう。
現に、常にキラの家は清潔に保たれている。
それはそうとして、アスランは昨日のイザークとの会話を脳裏に呼び覚ました。
まだ記憶に新しい会話の内容に、アスランは僅かに目を細めた。
言われるまで気付けなかった自分も自分だが、それにしてもとその考えに否と答える自分がいるのも確かなことだった。
確かに、ギルバート・デュランダルは怪しい。
だが、何かひっかかるのだ。
その何かがわからないのが、酷くもどかしい。
あの時、もっと家の中をよく見ていたならば、若しかしたら何かわかったかもしれないのに。
そう、アスランの心残りは、自宅に残されたヒントを探れないことだった。
一応イザークには頼んだが、若くして優秀な彼のことだ、きっと忙しくて中々行けないだろう。
昨日や先程の訪問は、最早奇跡と言ってもいい。
それ程に、彼は多忙なのだ。
そう考えると同時に、アスランは昨日決めた決意を新たにした。
心残りはあるけれど、彼女を思えば仕方ない。
感謝の言葉をもう一度言いたかったけど、今はもうそんな猶予は残されていない。
アスランは掃除にキリをつけ、携帯を手に取った。
洗濯しておいた自分の服に着替え、手紙を書く。
今の時期これだけでは肌寒さを感じるが、仕方ない。
書き終えた手紙をカウンターの上に置き、苦笑を浮かべた。
短い間だったのに、どうしてだろう。
寂しいと、感じるのだ。
もっと一緒にいたかったと、思うのだ。
きっと、感情移入し過ぎてしまったのだろうと自己完結すると、アスランは一歩足を踏み出す。
だが直ぐにそれを止め、部屋中を見渡す。
こんなにも別れが辛くなるとは、思っても見なかった。
けれど、行かなければ。
彼女に迷惑をかけてしまう前に。
彼女が帰ってきてしまう前に。
そしてまた、アスランは歩を進める。
だが向かう先は玄関などではなく、ベランダに続く窓。
ここは七階だが、柱を使えばなんとかなる。
イザークが帰った後、彼から届いたメール。
それこそ、アスランが頼んだ重要なメッセージ。
そこには、一言。
『玄関側には気をつけろ』
それ即ち、警察の居場所である。
昨日の今日で、すんなり退くとは思えない。
だからこそアスランは、それをイザークに確認するように頼んだのだ。
もう一つの頼みと共に。
だから、予想外の彼の気配りに、一層驚きを隠せなかったのだ。
まさか彼が、頼まれてもいない通信手段を寄越してくれるとは。
アスランはそんな彼に、また失笑してしまった。
素直ではないが、真っ直ぐな性根はいっそ憧れもする。
一つ年上で、親同士が愛人関係で。
普通だったら、自分たちの関係は縺れていただろう。
だが彼は、アスランを認めてくれている。
アスランを対等の立場として、ライバルだと言ってくれる。
そんな人物、今まで周りにはいなかった。
学生の頃も、今もずっと。
自分の周りにいるのはいつも、ザラ家の権力と財産目当ての輩どもぐらいだったから。
イザークが、初めてだったのだ。
だからこそ、親の再婚には賛成した。
彼となら、上手くやっていけただろうにと思うから。
だが最早、それは叶わない。
当の本人が、死んでしまったのだから。
車を駐車場に置き、社内に戻ろうと入り口を目指していた時だった。
「やあ、ジュール君。営業でもないのに外回りかな?」
突然かかった声に、呼ばれたイザークは一瞬ドキリとした。
「・・・デュランダル、社長・・・・・」
呟くのは、自分に声をかけてきた男性の名。
その声にデュランダルは笑みを深めた。
「いやはや。君を探していたのだよ」
笑みを貼り付けながら近づいてくる相手に嫌悪感を抱きつつも、イザークは眉一つ寄せずに笑顔を返した。
「それは申し訳ありませんでした。何か、御用でもおありでしたか?貴方のような方が、私に」
そう言ってイザークは、できる限りデュランダルの胸の内を探ろうと彼の金の瞳を見た。
だが、一向にデュランダルの思考は読めず、イザークの嫌悪感は更に増す。
「ああ、少し、聞きたいことがあってね。・・・前社長の、ご令息のことで」
その言葉に、流石のイザークも笑顔を崩す。
その表情に何か掴んだのか、デュランダルは目を細めた。
だがそれはほんの僅かな変化で、少なからずショックを受けているイザークには気付けなかった。
「どうやら彼は、自分の罪を償うことを放棄して、逃げ惑っているそうではないか。一体彼は、何がしたいのか・・・君なら、知っていると思ってね」
心の内を見透かしてくるようなその視線に耐え切れず、イザークは目を逸らしがてら彼に背を向けた。
「そのようなこと、私が存じ上げるはずはないでしょう。もし知っていたら、さっさと警察に言ってますよ」
そう言い捨て、イザークは振り返ることなく歩き出す。
「そうか・・・・・それは、残念だよ」
後ろで小さく、デュランダルの暗い声が聞こえたような気がした。
ガサガサと、ビニールの音が車内に響き渡る。
大きく一口、手元のあんぱんを頬張り、苛立たしげに噛み締める。
「全く・・・昨日のヤツ、また来てる。・・・・・アイツの言ってたことは、本当なのか?」
もぐもぐとあんぱんを口に入れたまま喋る金髪の女性に、隣の大柄な男は飲み込んでから喋りなさいと諭す。
それを聞き入れたのかどうかは定かではないが、女性、カガリ・ユラ・アスハはごくりとそれを飲み下し、はあ・・と溜め息を吐いた。
昨日から徹夜で張っているキラ・ヤマトの住まい。
先程、また昨日来ていた男が出て行った。彼女も一緒に。
これからデートだろうか。
それにしては、表情が固すぎるような気がしないでもない。
否、元来そういう顔つきなのかも知れないが。
女性の方は微笑を湛えているようなので、きっと後者だろう。
「やはり、勘違いだったのか・・・?」
そう言ってカガリは隣の男、レドニル・キサカに問うた。
「さあな。まだ張って何日も経っていないだろう。・・・・・ところでカガリ?」
短く答えたかと思うと、キサカは突然話を変えてきた。
カガリが不思議そうにそちらを振り返ると、渋面を作ったキサカ。
「一体いくつ、食う気だ?」
彼の視線の先には、またしてもあんぱんの袋を開けようとしているカガリの手。
カガリは指摘されても尚、その手を止めない。
「いいだろ?普段運動してる分、食べなきゃな」
そう言いながらも、早々にあんぱんを口の中に頬張る。
キサカはそんな相方に、大きく溜め息を吐いたのだった。
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