重い瞼をゆっくりと開く。
身体がだるい。
頭が痛い。
それでも自然と目が冴えてきて、アスランは額に手をやった。
そこはひんやりと冷えていて、寒気さえ感じさせた。
「・・・・・こ、こは・・・・・・・・・・?」
見慣れない天井に、アスランは口を開いて掠れた声を出す。
一体ここは、どこなのだろうと。
見慣れた牢屋の中でもなく。
ましてや自分の部屋でもないここは。
そこまで考えて、アスランは昨日のことを思い出した。
そうだ。
確かキラという少女に助けられて、熱を出して寝込んでいたのではなったか。
つまりここは、彼女の家の中のある一室ということで。
アスランはズキリと痛む頭を抑えながら起き上がった。
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ジリリリリリ・・・・・・・・・・。
けたたましいアラーム音が部屋内に容赦なく響き渡る。
「ん・・・・・もうちょっと・・・・・・・・・・」
そういって暖かい布団の中から腕だけ出して、目覚まし時計を探り出す。
間もなくして音は止み、代わりに寝息が聞こえ始めた。
だがそれも束の間、またしても今度は違う目覚まし音が遠くから聞こえ始めた。
その目覚ましはピーッピーッピーッという音を机上から発していた。
布団の中の主は、もそりと動き出す。
渋々といった体で布団から這い出ると、真っ先にアラームを止める。
「ふう・・・・・」
溜め息を吐いてからグッと伸びをし、ゆっくりとした動作で着替え始める。
衣擦れの音が部屋中に響き、朝の静寂を破っていく。
着替え終わると、机上の櫛を手にとって髪を梳き、それも終わると部屋を出る。
カチャリと音をたてて扉が閉まると、静かなはずの廊下に、ジュウジュウという音と共に、香ばしい香りが漂ってきた。
「・・・・・なんだろ?」
明らかに調理しているという様子だ。
取り敢えずリビングに向かい、そっとドアを開いて台所を見やれば、そこには藍色の髪に翡翠の瞳をした青年が調理しているではないか。
「あ・・・・・・・・・・アスラン!?」
驚いて声を上げると、その青年は驚くことなく顔を上げて笑顔を向けた。
「おはよう、キラ」
そんな笑顔で挨拶をされても返答に困る、とは流石に言えず、キラはただ困惑の表情を浮かべるだけだ。
「あの・・・・・」
遠慮がちに声を出すと、アスランは何かに気付いたようで。
「ああ!ごめん、勝手に台所借りて・・・・・目が覚めたらなんか、暇で・・・キラまだ起きてないみたいだったから、朝ご飯でも作ろうと思って・・・・・」
大企業の令息でも料理は出来るんだな、と感心しながらキラはアスランの隣まで近づいて彼の手元を覗き込んだ。
「わ・・・・・僕より上手・・・・・・・・・・」
口から零れるのは感嘆ばかりで、アスランは苦笑を浮かべた。
「そんなでもないよ。夜食とか、家政婦が帰っちゃってから何か食べたい時は、よく自分で作ってたから」
アスランの返答にへぇ・・・と頷きながら、皿に盛り付けられたウインナーに手を伸ばそうとする。
だが、ウインナーを手に取ることは出来ず、その手は軽く叩かれた。
「つまみ食いなんて、行儀悪いぞ?・・・・・って、ごめん・・・世話になってる分際で・・・・・」
頬を膨らましたキラに、アスランは心配げに彼女の顔を覗き込みながら謝罪をする。
その必死さが可笑しかったのか、キラは小さく噴出していいよと言った。
「こっちも、朝ご飯作ってもらってる側だから我慢する。・・・何か手伝おうか?」
クスクスと鈴が転がるような声で笑うキラに半ば見とれながら、アスランは首を横に振った。
「いや。もう終わるからいいよ。後は運ぶだけだから」
じゃあそれを手伝う、とキラはすぐ傍の綺麗に盛り付けのされた皿を手に取り運び始めた。
「・・・・・ありがと」
一瞬呆気に取られたものの、すぐに目を細めて礼を言うアスラン。
キラがその声を聞き取れたのかどうかは定かではない。
しかしすぐに声が帰ってきて。
「ほら、早く食べよう!!」
と、明るい声でキラはアスランを呼んだ。
「それにしても、おいしいね・・・・・」
朝ご飯を食べ始めて数分。
キラはまた感嘆の声を漏らした。
「そんなに美味いか?」
キラが今頬張っているのは、何の変哲もないハムエッグである。
アスランも別段工夫したわけではないが、どうやらキラはそれが気に入ったらしい。
「うん。そもそもどうしてこんなに綺麗に黄身が残るのかが謎だよ」
「・・・・・・・・・・は?」
キラの呟きに、アスランは思わず間抜けな声を出してしまった。
因みにキラが作るハムエッグは、必ず黄身がつぶれているのだ。
それをアスランが知る由もなく、キラは黙々とハムエッグを食べ続ける。
その食べっぷりはいっそ心地良く、アスランがまだ完全に回復しきれていなかったのも手伝って、キラにもう一つ食べるかと問う。
キラは素晴らしいまでの反射神経で顔を上げ、キラキラと目を輝かせてアスランを見た。
「え、本当に?本当に、食べちゃっていいの?」
「ああ、構わないよ」
キラの問いに、微笑みを浮かべながら答える。
「でも、アスランのでしょ、それ・・・・・?」
申し訳なさそうに言ってくるキラに、アスランは更に笑みを深めていいんだよと諭す。
「俺、まだ本調子じゃないし、食べられそうもないから・・・・・」
アスランの返答に思うところがあるのか、キラは表情を曇らせた。
「でも・・・・・・・・・・」
まだ言いよどむキラの手元の皿に、アスランは問答無用でハムエッグを乗せた。
「俺がいいって言ってるんだ。もしあれなら、これはキラへの感謝の気持ちと思ってくれ」
感謝の気持ち、と聞いてキラは不思議そうに首を傾げた。
「俺を助けて、世話をしてくれたお礼。本当に、何から何まで世話になりっぱなしで・・・・・」
どこか悔しそうに目を伏せるのは、そんな自分の不甲斐なさを改めて思い出したからだろう。
キラはフルフルと首を振ってアスランの言葉を否定した。
「そんなことない。昨日も言ったけど、僕は人として当たり前なことをしたまでだし、そんな・・・・・」
「じゃあキラは、食材を無駄にしたいのか?」
突然話を変えるアスランに、キラはまたも首を傾げた。
「俺を助けたことが人として当たり前のことなら、物を残さず食べることも人として当たり前のことだと思うけど?」
アスランの言葉に、キラはあっと声を漏らした。
自分で人として当たり前だと言いながら、細かいところまで目が行き届いていなかった。
否、細かいところというわけでもない。
食事をするということは、それこそ人として当たり前のことで、キラは抜けていた自分を情けないと思った。
「・・・・・ごめん」
アスランとハムエッグに、キラは素直に謝った。
そんなキラに、アスランはホッとしたように微笑んだ。
あれからしばらくして朝食を食べ終えたキラは大学に行き、一人残ったアスランは折角だからと頼まれて掃除することになった。
まだ午後になりきらないうちにそれは終わってしまい、アスランは床に座り込みながら髪を掻きあげた。
二十三年間生きてきて、初めて家政婦の大変さがわかったような気がした。
料理を作ったことがあっても、掃除をしたことはただの一度もない。
普段から部屋を綺麗に使用しているアスランにとって、家全体の掃除というのは辛いものがある。
キラの家はそんなに広くはないし、別段汚れが目立つわけでもないが、放っておけば埃が溜まってしまうのは否めないのでアスランは隅々まで手の届く範囲で掃除した。
目について綺麗になったところは特にないが、アスランの中に満足感というものが生まれた。
最近では味わえなかった分、それは新鮮で。
アスランは自然と微笑みを浮かべた。
「なんだか、家政夫になった気分だな」
それが嫌だということはなく、寧ろ大歓迎だと思える自分は変だろうかとアスランは疑問に思う。
しかしすぐに真剣な顔つきになり、アスランはこれからのことを考えた。
今現在自分は、凶悪殺人犯というレッテルを貼られ、あまつさえ逃亡した人間である。
恐らく、メディアにも顔写真が流され、自分の顔を知らない人間はほとんどいないだろう。
迂闊に外に出れない今、キラの家であるここは格好の隠れ場所だ。
だがしかし、ずっとここにいるわけにもいかない。
もしも誰かがアスランの存在を知った時、警察は真っ先にキラに事情聴取するだろう。
最悪の場合、懲役を科されるかもしれない。
何故なら、キラは今現在でも『共犯』と同等なのだから。
止む終えずとはいえ、キラは逃亡犯であるアスランを匿っているのだ。
長居をすればするほど、アスランの存在は周りに知られ易くなる。
しかし、今の自分に行く当てがあるわけがなく、アスランはしばらくこの家に世話になろうと思った。
もし出て行けと言われたら、その時は大人しく出て行けばいいのだ。
その時の為に少しでも情報を集めておこう。
アスランはそう思い立つと、手元のリモコンを操作してテレビをつけた。
『もう一度繰り返します。自らの父親であるザフトコーポレーションの元会長兼社長のパトリック・ザラ氏を殺害し、社内でも数々の横領を重ね、
先日無期懲役に処されたアスラン・ザラ、二十三歳は、現在も逃亡中です。警察は全力を尽くして捜索中とのことですが、未だ発見できず、
有力な情報も入ってきていないようです・・・・・』
緊張した面持ちのキャスターが、はっきりとした口調で情報を提供する。
彼女の言っている犯人が今見ているとは思わず、淡々と喋り続けている姿をアスランはどこか冷たい視線で見つめた。
「まだ、有力な情報も得られていない・・・か」
そう一人ごちると、アスランはテレビを消して溜め息を吐く。
取り敢えずは、まだこの場所はバレていないようだ。
しかしアスランは後になって後悔する。
アスランがテレビを消した後に、キャスターが続けた言葉を最後まで聞かなかったことを。
その、キャスターが言った言葉こそ、今アスランがいる場所の手掛かりになるということを、アスランはまだ知らない。
『尚、アスラン・ザラが逃亡した場所の近くから警察は聞き込みをして調べているようです』
アスランは知らない。
今現在も刻一刻と、警察が自分の傍に近づいているということも。
そんなことを知らないアスランは、冷蔵庫を覗き、昼ごはんを作り始めた。
一方、キラの通う大学では、今は丁度お昼時で。
「キラさん!!」
広い食堂でカチャカチャと食器の鳴る音が聞こえる中、大きな声を上げてキラを呼ぶ少年の声が聞こえた。
「シン君!ルナ、レイ君、メイリンも。こんにちは」
少年の後に続く少年少女たちにキラはニコリと笑いかけた。
黒髪で紅い瞳をしたシンは顔を仄かに赤くして、キラにはにかんだような笑顔を向けた。
「こ、こん・・・・・」
「こんにちは、キラさん!!」
「こんにちは。あ、今日は中華丼なんですか?おいしそー。これっておいしいんですか?私、ここの、食べたことなくって・・・」
シンの言葉を遮って、ルナマリアとメイリンが割り込んでくる。
シンは一瞬不満そうな顔をしたが、このままこんな顔でいたら後で彼女たちに何をされるかわかったものではないので取り敢えず無表情になる。
「おいしいよ。一口食べてみる?」
そう言ってキラはメイリンの口許にスプーンに盛った中華丼を近づけた。
躊躇することなく口にするメイリン。
横でルナマリアが羨ましそうに見ている。
その様子に気付いたのか、ルナもどう?とキラは問う。
ルナマリアはパァッと顔を輝かせ、中華丼にぱくついた。
シンも羨ましそうにしているのに気づかなかったのか、それとも敢えて無視しているのか、キラはまた食事を再開し始めた。
シンの横で長い金髪の青年、レイが、シンの肩にポンと手を置いた。
この五人が出会ったのは、シンが入学したての今から約一年前に遡る。
丁度キラの友人が風邪で休んでいて、仕方なく一人で昼食を食べていた時にシンが声をかけたのだ。
隣の席が開いていたこともあり、キラは断ることなく了承したのがきっかけだった。
いつの間にかレイやルナマリア、その妹のメイリンも加わり、今では一緒に食べるようになっていた。
因みにキラの友人は、彼氏と心置きなく一緒の時間を過ごしている。
学年はばらばらだが、キラたちはとても仲が良い。
キラは口許に微笑みを浮かべながら、中華丼を食べ続けた。
その微笑みは若しかしたら、アスランのことでもあるかもしれない。
久しぶりに、大学やファミリーレストランなどで食べる外に、人が作った料理を食べた。
家に帰ればきっとアスランは笑顔で迎え入れてくれるだろう。
それがたまらなく嬉しい。
両親が死んでから、ずっと一人だった。
励ましてくれる友人もいたけれど、家に帰れば自然と一人で。
孤独が、怖かった。
一人でいることが、怖かった。
だから安心しているのかもしれない。
アスランがいてくれることが、嬉しいのかもしれない。
否、実際そうなのだ。
彼がいるからこそ、安心できて、嬉しい。
キラはそんなことを考えている自分がなんだか気恥ずかしくなって、クスリと小さく苦笑した。
カツ、カツ、カツ・・・と音がする。
アスランは自然と息を潜めて、様子を窺う。
しばらくして足音が止まり、キラの家のチャイムが鳴った。
キラが帰ってくるには早すぎる時間だ。
もし帰ってきたとしても、鍵ぐらい持っているだろうからチャイムは必要ないはずだ。
もし客人だとしたら、それこそ出ることは出来ない。
だからアスランは、相手がこの場を去ることをじっと待った。
だが一向に去る気配を見せず、アスランも漸く異変を感じ取る。
嫌な予感がする。
しかしそう思ったのも束の間、気配は足音と共に遠ざかって行った。
「・・・・・なんなんだ、一体・・・・・・・・・・?」
客人にしては待ち過ぎだ。
アスランは不審に思いながらも夕飯の仕度を再会した。
キラが帰ってくるまでに、作っておかなければ。
お世話になっている身の上、何もしないのは気が引ける。
キラに無理やりせがんだところ、取り敢えず掃除を頼まれただけなのだが、夕飯を作るのはアスランの気持ちと言っていい。
カレーのスパイシーな香りが鼻腔をつき、アスランはふわりと微笑みを浮かべた。
「キラ、まだかな・・・・・」
彼女の帰りを今か今かと待ち侘びている自分が何だか滑稽で、アスランは苦笑を浮かべた。
あと数時間で帰ってくるであろうキラのことを思い浮かべながら。
「ただいまー!」
用心の為閉めておいた鍵を開けて中へと入りながら、キラは台所まで聞こえる声で言った。
「おかえり」
次いでリビングに通じるドアから顔を出して答えるアスランは、夕飯出来てるよと言って顔を引っ込めた。
「うん、わかった」
キラは心に暖かい気持ちが広がっていくのを感じながら、靴を揃えて家に上がる。
廊下まで香るカレーの匂いは、キラの食欲をそそるものだった。
手を洗って席に着くと、既にカレーはお皿に盛られていた。
「なんか、悪いね・・・何から何までやらせちゃって・・・・・」
そういうキラの目は、本当に申し訳なさそうで。
「俺がやりたいんだよ、キラ。ほら、食べて?」
アスランは優しくキラを促した。
アスランも席に着き、カレーに手をつけ始める。
躊躇していたキラも食欲には勝てなかったのか、カレーをつつき始めた。
「おいしい!!アスランて本当に料理、上手だね・・・・・」
またしても感嘆するキラに、アスランはやはり苦笑するのみだ。
それから二人は世間話をしながら食事を続けた。
これからくる、恐怖も知らずに。
久しぶりに味わう暖かい食卓は、二人の心を満たしていった。
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