熱のせいで荒く乱れた息が、今はもう住人のいない部屋に響く。

 風呂場で調達してきたタオルと洗面器を手に、キラは辛そうに呻くアスランを心配そうに見やった。

 そしてすぐに気を取り直し、アスランの頭を持ち上げて乾いたタオルを巻いた氷枕を元からあった枕とすり替える。

 その枕を床に置き、今度は洗面器の中に小さめのタオルを入れて濡らす。

 それを絞ってアスランの額に乗せると、気持ちいいのかアスランの荒い息が若干和らいだ。

 その様子にホッとすると、キラは逡巡しながらもアスランの服に手を掛けた。

 衣服が濡れたままではきっと気持ちが悪いだろうと、アスランの服を着替えさせようとしているのだ。

 熱のせいで熱い体を彼が苦にならない程度に浮かして服を剥ぎ取ると、彼は小さく呻いた。

 キラはそれを気にしつつも、新しく、といっても今は亡き父親のものなのだが、それを彼の背中に滑り込ませた。

 彼の腕に袖を通してやり、ボタンを丁寧に閉めてやる。

 序でに彼の未だ濡れている髪の毛も、乾いたタオルで軽く拭いてやる。

 そうしてからキラは、自分の夕食を作ろうと台所に向かった。

 久しぶりに、ロールキャベツでも作ろうか。

 そう思って、冷蔵庫を開けて材料を探す。

 そういえば、彼は何か食べるだろうか。

 ロールキャベツの調理中、ふとそんなことが脳裏を過ぎる。

 が、すぐにまだ彼が食事をすることは出来ないだろうと思い直し、調理を続けた。

 そうして作り上げた料理を食べ終えると、片付けてアスランの様子を見に寝室へと向かう。

 額のタオルを変えてやったり、熱があるかどうか診てみたりと一通り世話をすると、キラは風呂に入ったり、大学のレポートの準備をしたりと暇を潰し、

またアスランの元へ向かった。

 そうして適当に世話をしてから自分も床につく。

 朝、いつものように目覚ましに叩き起こされ、目を擦りながらゆっくりと起き上がる。

 着替えて大学に行く仕度が整うと、朝食をとってアスランの元に向かう。

 またしばらくバイトの休みがない。

 病人一人残していくのは心残りだが、休むことは出来ない。

 キラは後ろ髪ひかれる思いで家を後にした。

 大学で授業を受けている間も、仲の良い友人と一緒にお昼を食べている間も、バイトで働いている間も、キラはアスランのことが心配で仕方ない。

 まだ眠っているのだろうか、もう熱は下がっただろうかなど、そんなことばかり頭の中を占拠する。

 やっとバイトからあがると、真直ぐに家路につく。

 鍵を開ける間ももどかしく、ようやく開いたドアを少々乱暴に開け放ち、アスランの元に駆け寄る。

 彼は今は落ち着いているらしく、浅い寝息を立てて眠っている。

 キラはホッと吐息を漏らし、またアスランの看病に徹するのだ。

 こんな日々が、三日続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

file;2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・ん・・・・・・・・・・」

 重い瞼を徐に開け、アスランはぼんやりと目の前の暗い天井を見つめた。

 自分の部屋のものでも、はたまた刑務所のものでもない、それ。

 アスランはしばらく、ここがどこなのかを考えた。

 そうして思い当たるのは、警官たちから逃れて駆け込んだ高層マンションのエレベーターで出会った少女に肩を貸してもらい、彼女の家に入れてもらったことだ。

 まさか仮にも殺人犯の自分を我が家に入れるとは、なんとお人好しな性格なのだろう。

 アスランは自嘲気味に笑って身を起こそうとした。が、思うように体が動かずに、またベッドに横にならざるを得ない。

 どうしようもないので、しばらく仰向けになって天井を見つめることにした。

 日が沈んでしまったのか、部屋は薄暗くてどこか安心する。

 アスランはふと、喉がからからに渇いていることに気付いた。

 それに、刑務所にいる間、極度のストレスでほとんど何も飲み食いをしていない。

 今の自分の不調も、それが原因だろう。

 もちろん、雨の中を傘も差さずに走ったせいもあるだろうが。

 そんなことをつらつらと考えていると、カチャリと扉が開く音がした。

 アスランは、熱のせいで痛む節々を叱咤しながら、ゆっくりと音のした方に目を向けた。

 「あ、気がついた?」

 逆光で表情までは見えないが、その背格好や声音は女性のものだ。

 「・・・・・・・・・き・・・みは・・・・・・・・・・?」

 掠れた声が小さく零れる。

 キラは入ってくるなり、水を取り替えた洗面器を傍らの鏡台の上に置く。

 そのまま仰向けに寝ているアスランの傍に寄り、汗ばむ額に手をやった。

 「うーん・・・まだ熱があるね。なんか食べる?」

 アスランの額の熱さと自身の熱さを比べながら、キラはアスランに問う。

 しかし、熱でぼーっとした頭は何を考えるまでもなく、アスランはゆっくりと小さく首を振った。

 「そっか。やっぱりまだ早いよね。・・・なら、水は?のど渇いたでしょ?」

 懲りずにまた質問を投げかけてくるキラ。アスランは、水くらいなら・・・と思い、こくりと今度は縦に振った。

 「じゃ、取ってくるね。それまで寝てて!」

 そう言い置くと、キラはもと来た方に戻っていく。

 パタン、と小さく音をたてて扉が閉まるのをぼんやりと見る。

 途端、言いようのない不安感と、喪失感がアスランを襲った。

 寂しい、どこに行ってしまうの?行かないで、一人にしないで―――――・・・・・。

 アスランは咄嗟にキラの服を掴もうとするが、もうそこにはキラの姿があるはずもなく、必死に伸ばした手は虚しく空気を掴むばかり。

 どうしてだろう?こんな空虚感を抱くのは・・・。

 アスランはそれが、高熱のせいだと思い至らずに天井を見上げたまま沸々と湧き上がる感情と葛藤し始めた。

 しばらくすると、また音をたてて扉が開き、水が並々と入った吸飲みを手にしたキラが入ってきた。

 アスランは知らずのうちにうとうとし始めていた意識を浮上させ、キラの方を見てホッと息を吐いた。

 「はい、水だよ」

 そう言って、吸飲みの口をアスランの口許に持ってくる。

 目の前にやってきたそれを徐に口を開いて銜えるのを確認して、キラは吸飲みを傾けた。

 こく、こく、と水を飲み下す音が弱々しくも聞こえ、しかしキラは少し安堵した。

 相手が、三日前に無期懲役に処せられたばかりの犯罪者だと言うことはわかっている。

 わかっているが、病人を放っておくわけにもいかない。

 放ってそのまま何かあったりでもしたら、いくら無関係の人だとしても罪悪感は否めない。

 改めて、自分はつくづくお人好しだなあと実感してしまう。

 「ん・・・・・」

 不意に聞こえた声にアスランを見ると、顔を顰めてなんだか辛そうだ。

 キラは慌てて吸飲みを彼の口から放すと、先程もやったように額に手をあてて熱があるかどうかを診る。

 まだ、熱い。

 病院に連れて行きたいが、そうでもしたら彼が困るだろう。

 逃亡は、そんなに簡単に出来るものではない。もし簡単に出来てしまえるものなら、警察が存在する意味が無い。

 キラは、家にある薬があるかどうか記憶をめぐらせるが、確かこの前自分が風邪をひいた時に全て使い切ってしまったはずだ。

 「買いに、行った方がいいかな・・・」

 アスランが寝ている三日のうちに買っておかなかったことをキラは後悔した。

 アスランは、また熱がぶり返してきたのか、苦しそうに息を乱している。

 「苦しそう・・・・・」

 キラの目は最早、アスランを犯罪者としてではなく、一人の病人として映していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近くの薬局店に行って熱に利く薬を買って戻ってくると、アスランは未だに息が荒く、熱も先程よりも高くなっているようだ。

 キラは急いで台所に行き水を吸飲みに入れると、小走りでアスランの元へ急いだ。

 「ほら、薬だよ!飲める?」

 そう言って薬を翳してみるが、アスランは目も唇も硬く閉じたままだ。

 「そういえばまだ、何にも食べてなかったんだよね・・・・・」

 ふとアスランがまだ何も食していなかったことを思い出し、キラは困惑する。

 薬を飲ませて楽にさせてやりたいのは山々だが、何も食べずに飲めば逆効果になってしまう。

 しかし、今の彼には食べ物を噛むことも、胃に流し込むこともできそうにないだろう。

 とりあえず、今は彼の体力に賭けるしかない。

 「お粥、作ってくるね」

 アスランが目覚めた時に、すぐに食べられるようにしておこう。

 キラは寝室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キラがお粥を持って寝室に入ってくると、アスランは起きているようで、ぼんやりと天井を見つめていた。

 「どう、調子は?」

 問いかけながら、アスランが横になっているベッドの横の椅子に腰掛けると、彼は徐に首を動かした。

 「・・・すまなかった・・・・・迷惑、かけて・・・・・・・」

 まだ掠れている声を溜め息のように吐き出しながら、アスランは申し訳なさそうに目を伏せた。

 「人間として、当然のことをしたまでだよ」

 ニコリと微笑んで言ってやると、アスランも安心したのか、はにかんだように笑った。

 やはりそれは、凶悪殺人犯には見えず、キラは彼が逃亡犯だということも忘れて笑いかけ続ける。

 「はい、これお粥。少しでも食べないと、薬飲めないでしょ?」

 キラは優しく声をかけた。

 そう。あくまでも優しく声をかけたつもりだったのだ。

 しかし、アスランはビクリと肩を揺らし、目を大きく見開いた。

 「く・・・・・すり・・・・・・・・・・?」

 うわ言のように呟くアスランを怪訝そうに見やり、キラはどうしたのとアスランの顔を覗き込む。

 しかしすぐにアスランは我に返ったようで、なんでもないと溜め息を吐いた。

 それから大人しくお粥を口にするアスラン。

 しかしそれは一口で終わり、アスランは俯いた。

 「・・・もう、食べれない?」

 キラが心配げに尋ねると、アスランはゆっくりと頷いた。

 「すまない・・・・・」

 彼の口から紡ぎ出される声は小さく、注意していないと聞き取れないほどであった。

 そのことが、アスランは喋るのも辛いのだとキラに思わせ、彼女は沈痛の面持ちでアスランを見つめた。

 「そう・・・・・じゃ、薬、飲もう?」

 買ったばかりの市販の薬の箱を開けながら、なるべく明るく言うキラにアスランは溜め息を吐いた。

 「薬はいい。放っておけば、治るよ・・・」

 半ば投げやりに言うアスランに、キラはムッとアスランを見た。

 「ダメ!そんなことしたら、悪化するかもしれないでしょ?」

 突然怒り出したキラに、アスランは目を丸くした。

 「君・・・・・」

 呆然と呟くアスランに、キラは溜め息を吐く。

 「貴方はいいかもしれないけど、こっちは気が気じゃないんだからね」

 そう言ってカプセルを二錠アスランの手のひらに乗せた。

 アスランはキラの言葉一つ一つに驚かされていた。

 彼女は自分を心配して、怒ってくれたのだ。

 それは久方ぶりに感じた、優しさ。

 母を亡くし、唯一の肉親である父親は仕事をするばかりで、アスランのことなどビジネスをする過程で必要な駒としか思っていなかった。

 少なくとも、アスランにはそう感じられていたのだ。

 しかしそれでも、アスランは父親を嫌いにはなれなかった。それどころか、逆に役に立ちたいとも思っていた。

 勝手に縁談を持ってこられた時には、流石に苛立ちを感じたが、それでも、アスランは父親を尊敬していた。

 それは、父親のビジネスに向ける執念であったり、不器用ながらも自分の将来のことを思ってくれたり、それを思いすぎて余計なことをし出したりと言ったところだ。

 アスランはそれが愛情だと、親が息子に向けるものなのだと知っていた。わかっていた。

 だからこそ、アスランは許せなかった。

 父を殺した人物を。

 父が必死の思いで大きく育て上げた会社で、数々の汚点を残した人物を。

 そして、他でもない父親の息子である自分に、その罪を押し付けた人物を。

 野放しにしておくわけにはいかないのだ。

 そう思うからこそ、アスランは逃げた。

 逃亡犯だと言われようが。

 警察に追われようが。

 そうすることで、自分が逆に窮地に追い込まれようと。

 数多の汚点を消し去ることが出来る可能性があるというのなら、どんなことでもしてみせる。

 アスランはそう、心に誓った。

 「・・・・・アスランさん?」

 突然、遠慮がちに自分の名を呼ぶ声に、アスランはハッと顔を上げた。

 「あ、ああ・・・すまない・・・・・」

 そうして漸く、アスランは彼女が手に水の入ったコップを持っていることに気付いた。

 「はい、お水」

 差し出されるコップに、アスランは渋々手を伸ばした。

 父親が死んだ原因は、一種の毒薬であったと聞いた。

 もちろん、自分はそんなもの、身に覚えはない。

 どんな毒を盛ったかは知らないが、アスランの薬に対する感情が変わるのは無理からぬことだった。

 薬一つで、人の命を左右することが可能なのだという現実を、目の前で突きつけられたのだから。

 「何があったか、僕にはわからないけど・・・・・」

 困惑気に呟くキラを、アスランは訝しげに見やるが、彼女は言うのを止めない。

 「今は薬を飲んで、ちゃんと寝て・・・・・兎に角、身体を治すことだけを考えて・・・・・・・?」

 心配げにそのどこまでも透き通るようなアメジストの瞳を揺らす少女に、アスランは何か心の奥から湧き上がる暖かいものを感じた。

 「・・・・・そう、だな・・・・・・・・・・」

 苦笑を浮かべて躊躇いながらも薬を口に含み、水で一気に流し込む。

 それに安心したのか、キラは満面の笑みを溢した。

 「じゃ、大人しく寝てね。僕は、自分の部屋に戻るから」

 そう言って、開いた食器類などを持って去ろうとするキラを、アスランは咄嗟に止めた。

 「待って!!」

 肩越しに振り返るキラは、心底不思議そうだ。

 「何?」

 「君の名前・・・・・教えてくれないかな?」

 遠慮がちに、けれどどこか恥かしげに尋ねるアスランは、なんだか微笑ましい。

 キラはクスリと笑ってアスランに向き直った。

 「キラ・・・・・キラ・ヤマトだよ」

 その微笑みはどこまでも暖かく、アスランの心を安心させるには十分で。

 「アスラン・ザラだ・・・・・。今更だけど、迷惑かける」

 苦笑を浮かべて言ってくるアスランにキラはクスっとまた笑う。

 「いいえ。気にしないで?貴方は、自分の体のことだけを考えていればいいんだから」

 目を細めて優しい言葉を投げかけるキラは、とても綺麗で。どこか神々しささえも感じさせた。

 「ありがとう。キラさん・・・・・」

 ほっと吐息を吐きながらそう言うと、キラは思い出したようにあっと声を上げた。

 「それと、“さん”はいらないから」

 アスランはキラの言葉にきょとんとする。

 「僕も、アスランって呼ばせてもらっていいかな?」

 キラは未だきょとんとするアスランの答えを待たずに、苦笑を浮かべて早々と部屋を出て行ってしまった。

 こうして、逃亡者アスランと大学生キラの奇妙な同棲生活が始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

file;1/top/file;3
Photo by LOSTPIA