パトリックから婚約の話を聞いてから、二週間後。 アスランはクライン親子に会う為に、とあるホテルを訪れていた。 受付で部屋を聞いて、そこに向かう。 おそらく、先方もパトリックも既に到着して、いろいろと談笑しているに違いない。 目的の部屋に辿り着き、扉を軽く二回、ノックする。 「遅くなりました。アスランです・・・」 これから少しばかり退屈な、夕食会が始まる。 X… 華やかなピンク色の長い髪を優雅に背に流し、綺麗で澄み切った空色の瞳はどこか凛々しさを感じさせた。 「遅いぞ、アスラン」 ああ、彼女が自分の婚約者になる人なのだなと思いながらぼんやりと彼女を見ていると、アスランから一番近い席に座っている パトリックが小声で声をかけてきた。 「すみません、父上。仕事がなかなか終わらなくて・・・・・」 バツが悪そうにそう言うと、パトリックの正面に座っている男女に目を向けた。 「お初にお目にかかります。アスラン・ザラと言います。本日は遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした」 丁寧に腰を折り、深々と頭を下げると、相手の男が制した。 シーゲル・クラインとその令嬢、ラクス・クライン。 シーゲルはザフトカンパニーの次に大きな会社、クライン社の社長を勤める男だ。 そしてラクスは、世界の歌姫という名高い娘である。 芸能関係に疎いアスランは、パトリックから聞くまで知らなかったことだが。 「君がアスラン君か。いや、賢そうな息子を持って幸せだな、パトリックよ」 シーゲルは嬉しそうに頬を緩めてパトリックに話しかけた。 「シーゲルのご令嬢も、なかなかいい娘ではないか。羨ましい限りだ」 もしかして、自分が来る前に既に出来上がってしまったのだろうか。 よくよく見てみれば、大きなテーブルにはワインの注がれたグラスが二つ。 どうやら、ラクスは一滴も飲んでいないらしい。 アスランは取り敢えず、ラクスに一言挨拶をしようと向き直った。 「初めまして。アスラン・ザラです」 握手を求めれば自然に返してくれる、ラクスという女性。 聡明で、いい女性だとは思うけれどやはりキラとは違って。 「こちらこそ、初めまして。ラクス・クラインです」 どこか違和感を感じるのを無理やり思考の外に追いやる。 「遅れてしまって、すみません」 「いいえ。お父様方は、楽しんでおられましたわ。さ、お座りになってくださいな」 そう言って、パトリックの隣の席を勧めてくるラクスは、きちんと教育が成されていて。 良家のお嬢様らしく、優雅な立ち居振る舞いを披露した。 グラスに、赤ワインが注がれていくのをぼんやりと見つめながら、またキラのことを考える。 無意識に、手が胸元に伸びる。 そしてシャツ越しに、指輪を掴んだ。 今ではもう癖となってしまったこの動作。 指輪は勿論、あの日海で捨てようとしたエンゲージリングで。 今では鎖に通し、肌身離さずつけているのだ。 「大丈夫ですか?アスラン様」 その動作に、アスランの具合が悪くなったのかと思い、ラクスが気遣わしげに声をかける。 その声にハッと顔を上げ、何事も無かったように笑みを浮かべる。 「はい、なんともありません。・・・それより、アスラン様、というのは?」 自分の呼び方に、大きな違和感を感じて問うてみる。と、ラクスはニコリと微笑んだ。 「はい。流石に、苗字で呼ぶのはどうかと思いまして」 「呼び捨てで結構ですよ」 苦笑気味に答えると、ラクスは一瞬驚いた顔になったが、すぐに満面の笑みを浮かべた。 「わかりましたわ、アスラン。では、私のこともラクス、とお呼びくださいな」 「・・・ではそう呼ばせてもらいます、ラクス」 面白い女性だ。 けれどやはり、キラといる時とは比べ物にならない。 アスランはそんなことをおくびにも出さず、会話を続けることにした。 隣ではワインの入ったグラスを片手に、シーゲルと談笑しているパトリックの姿。 今夜は帰るのが遅くなりそうだ。 アスランは一口、ワインを喉に通した。 「では、本当によろしいのですね?」 アスランはラクスの顔色を窺うように覗き込んだ。 パトリックとシーゲルは酒に酔って、三十分程前にアスランによってベッドに運ばれている。 二人がいない間に夕食が来てしまったので、アスランとラクスは冷めないうちにとそれに手をつけていた。 「はい。構いませんわ」 思ったよりもあっさりと答えたラクスに、アスランは拍子抜けしてしまった。 普通、二十代の女性というのは婚約などという定められた関係というものを渋るものではないのか、と思うが、敢えてそれは 口にはせずに心の内に留めておく。 「・・・・・そうですか」 「ですがアスラン?」 急に、先程とは違う声音で話を切り替えるラクスに、なんなのだろうと怪訝そうに眉を顰める。 「あなたこそ、これでよろしいのですか?」 主語が理解できず、更に眉間に皺が寄る。 「本当は、婚約など望んでいらっしゃらないのではないですか?」 「な!?・・・そんな、ことは・・・・・」 ラクスの言葉にドキリとして、思わず目線を泳がせてしまう。 「もしそうであれば、この婚約は無かったことにさせていただきますわ」 アスランの表情を一片の隙も無く見つめるラクスにはそれが図星だとわかったようで、言葉の端々に棘が刺さる。 「誰か思い人がいるのに、婚約など・・・侮辱するのも甚だしいですわ」 ラクスの目は細められ、まるで狙った獲物は逃さないといった体でアスランを睨んだ。 「俺は・・・そんな、つもりじゃ・・・・・」 ラクスの強すぎる眼光を直視できず、手に持つナイフとフォークを皿に置く。 「貴方はそう思っているかもしれません。ですが、私から見てみればそう思ってしまうのも仕方ないのではありませんか?」 言葉遣いこそ丁寧だが、アスランにとっては痛いことだ。 「・・・・・・・・・・」 アスランは黙り込み、ただラクスの言葉を受け止める。 そのくらいしか出来ない程、ラクスの言葉は的を射ていて、正確すぎて、強い。 「もう一度お尋ねしますが、貴方は本当に、婚約をしてよろしいのですか?」 若干柔らかくなった声音に、徐に顔を上げ、重い口を開く。 「・・・・・仕方がなかったんです。諦めるしか・・・」 小さく、そっと、アスランの声は部屋内で静かに響く。 「俺と彼女・・・キラは、少し前まで、恋人同士だったんです・・・・・」 そして語りだす。 今まで溜め込んでいた思いを吐き出すように。 堰を切ったように口から零れ落ちる言葉たちは、悲しみの余韻を持ってラクスに伝わっていった。 「・・・そうですか。そのようなことが・・・・・・」 一通り話を聞き、ラクスは痛々しげに眉根を寄せた。 夕食を食べ終え、既に片づけが済んでしまったので、テーブルにあるのはワインのみだ。 「いずれは言うつもりではありましたが・・・」 言い辛そうに言葉を濁し、俯くアスラン。 「いいえ。お辛いのに、打ち明けてくださってありがとうございます。けれど、やはり婚約の話は無かったことにさせていただき ますわ」 しかし、ラクスは悪びれもせずに淡々と言って見せた。 「えっ・・・」 あまりにサラリと言われてしまったので、アスランは思わず聞き返してしまう。 「貴方はまだ、キラ様を愛していらっしゃいますのでしょう?諦めるのはまだ早いと思いますけど?」 ラクスはそう言うと、ワイングラスを手に取り口をつける。 「諦めるも何も、キラにはもう、イザークしか見えていませんよ」 困惑気味にそう答えると、ラクスは静かにグラスをテーブルの上に置き、呆れたように溜め息を吐いた。 「そうやって諦めようとするのは、貴方の悪い癖ですわ」 一見失礼とも取れるラクスの態度を気にするでもなく、アスランは目の前の赤ワインを見ながら答える。 「諦めるべきなんです、俺は」 自分に言い聞かせるように。 自分の心が変わってしまわないように。 「キラが好きなのは、俺じゃない。・・・好きでもない男といたって、幸せにはなれませんよ」 そう言い捨て、アスランは内ポケットに手を伸ばす。 そして煙草とライターをその手に握った。 「お煙草をお吸いになるのですか?」 ラクスは意外そうに目を丸くしながら問うた。 「ああ、はい・・・嫌、でしたか?」 気遣わしげにラクスに尋ねるが、煙草を仕舞おうとはせず、それどころか一本取り出して巻紙の位置をトントンとずらした。 「好きではありませんわね。アスランはお好きなのですか?」 その動作を気にするでもなく、ラクスは小首を傾げながら問うた。 「・・・・・・嫌いですよ。こんなモノ吸ったって、なんの変わりもない」 自嘲を浮かべて答える声は、何もかもを諦めてしまっているようで、ラクスは呆れたようにアスランを見つめた。 「そうですわね。それに、貴方はもう諦めてしまったようですから、意味はありませんでしょうね」 ラクスの言葉にピクリと眉が吊り上がるのをやり過ごし、アスランは煙草の火をつけた。 「・・・・・・・・今日はこれで失礼しますよ。取り敢えず、婚約は成立ということで話は進めさせていただきます」 身体にはお世辞にも良いとは言えない煙を肺一杯に吸い込み、吐き出す。 どうやら、アスランはラクスの言葉を無視して婚約を成立させるつもりでいるらしい。 「・・・わかりましたわ。ではまた、今度。連絡をお待ちしておりますわ、アスラン」 ラクスはそんなアスランに呆れて溜め息を吐きつつも、そう答えた。 「はい。恐らく、次に会うのは婚約発表の時でしょうね」 煙草とライターをポケットに仕舞い、口に銜えた煙草を指に挟み、立ち上がる。 「そうですわね。・・・それまでに、キラ様の記憶がお戻りになれればよろしいのですが・・・」 最後の方の呟きは、自分に辛うじて聞こえる程度のもの。地獄耳で無い限り、アスランには恐らく聞こえないであろう声量。 案の定、アスランはラクスを振り返ることは無く、パトリックたちが眠る方へと向かった。 「あら。寝かせておいて差し上げてもよろしいんですのよ?」 アスランがパトリックの腕を肩に担ぎ上げようとしたところで、ラクスは片手を頬に当てて言った。 「いえ、遠慮させていただきます。明日も、早いので」 苦笑を浮かべて丁寧に断り、そのままパトリックを立たせる。と言ってもパトリックは未だ眠ったままなので、ほとんどアスラ ンの肩に寄り掛かっている形だが。 「細かいことは、父経由で連絡がいくと思います。こんな父ですが、どうぞよろしくお願いします」 扉の近くまで来て振り返ると、椅子から立ち上がり笑顔を振り撒くラクス。 「それはお互い様ですわ、アスラン。お気をつけてお帰りになってくださいね」 「お先に、失礼させていただきます。」 優雅に礼をとり、パトリックを半ば担いで部屋を後にするアスランを見送ったラクスは、足音が完全に消えたことを確認すると、 シーゲルの元へと歩を進めた。 「私、あの方は恋愛対象としては見れませんわ」 縁談を持ってきてくれた父に謝罪を込めてそう言うと、ベッドの傍らの椅子に腰掛ける。 「そうか・・・。無理強いはせんが、早くしないと幸せにはなれんぞ?」 すぐに返ってきた答えは、まさしくシーゲルのものだ。 「わかっていますわ。ですが、もしも彼と結婚をする時がきても、きっと彼は私を愛してくれませんわ」 そんな予想が容易に思い浮かべることが出来てしまう程、彼は、アスランは、キラと言う女性を愛し、執着してしまっている のだ。 本人は気付いていないかもしれないが、ラクスはアスランがどれ程キラに拘っているのか、話していてわかった。 忘れられない人。 忘れたくない人。 愛することが許されない人。 愛し、抱きしめたい人。 守りたかった、人。 アスランにとってキラとは、そんな女性なのだろう。 事故に遭って一層、そう思うようになったに違いない。 そう。全ては事故に遭った瞬間から始まったようなものなのだから。 「ありがとうございました。おかげで、彼の本音を聞き出せましたわ」 苦笑を浮かべて優しい声音で囁くラクスを、同じく苦笑を浮かべて見つめるシーゲル。 実は、シーゲルは酔ったふりをしてアスランとラクスを二人きりにさせようとしたのだ。 自分が出て行けばそれで済むのだろうが、問題はパトリックだ。 彼はシーゲルが知る以上、一番酒癖が悪く、放っておくと何をし出すかわからない。 その為、見張り役も兼ねてシーゲルはこの部屋に留まることにしたのだ。 もちろん、演技をして。 「そうか。・・・さて、そろそろ私たちも帰ろうか、ラクス」 柔らかい笑みは父親似だろう。ラクスとシーゲルはお互い微笑み合うと、帰り支度をし始めた。 「本当に、記憶がお戻りになればよろしいですわね・・・」 ラクスの呟きは部屋の空気に紛れて消えていった。 |
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