「大変お世話になりました」 少し大きめな荷物を抱えながら、アスランは深々と頭を下げた。 「退院、おめでとう。お大事にね」 「無理はすんなよ?折角治ったのに、今度は過労じゃシャレにならんからな」 アスランの担当だった看護師と医師は、笑顔でそう言ってくれる。 暖かい、空間。 今日で最後だと思うと、なんだか寂しい。 「はい。本当に、ありがとうございました」 また頭を下げるアスランに二人は苦笑して、彼の頭を撫でてやる。 そうして二言三言言葉を交わし、アスランは病院を後にした。 事故から一ヶ月と少し。 アスランはまだ完治していないが、退院した。 V… 「おはようございます」 「ああ、おはよう」 颯爽と廊下を歩いている間、すれ違う社員たちは皆アスランに挨拶をしてくる。 その中には見たこともない顔も混じっているが、いつものことなので気にしない。 アスラン・ザラ、国で最も大きな企業である『ザフトカンパニー』の社長令息であり、総務部部長でもある。 二十三歳という若さで、各部署の要とも言える総務部を取り仕切る彼は、期待の星といっても過言ではない。 “総務課”と書かれてあるドアの前に立ち、深呼吸してからノブに手を置く。 なんだかんだでもう一ヶ月だ。いくら自分が上司であるといっても、それだけ長い期間席を空けていたということは、部下の 統率力も下がってしまう恐れがある。 しかし自分はこの大企業、“ザフトカンパニー”の社長、パトリック・ザラの一人息子。こんなことで怖気づいていられるほど アスランは暢気ではなかった。 カチャリ、となるべく音をたてないように開けた。が、耳聡いものはどこにでもいるようで、何人かがアスランをちらりと見た。 それに気付いた他の社員たちも、そろってアスランを見やる。 なんだか、居心地が悪い。 そう思っていると、遠くの席からこちらに向かって、どこか不機嫌そうな声が届いた。 「やっと来たか、貴様・・・・・」 声の主は言わずもがなイザークだ。彼はアスランの大学時の先輩だからか、上司だというのに敬語を使おうとしない。勿論、 会議などの公の場では他人行儀ではあるが。 「・・・ああ、心配をかけてしまったようで、すまないな」 まるで何事もなかったかのように話しかけてくるイザークを半ば睨みつつ、自分のデスクに向かう。 「貴様がいない間に溜まった仕事が山積みだ。締め切り間近のものもあるから、そちらを優先しろ」 普段と変わりなく、アスランにおせっかいにも似た注意をしてくるイザークに、アスランは苛立ちを覚えた。 何故お前は、何も言わない? 何故お前は、そんな顔をしていられる? 沸々と腹の底から湧き上がって来る怒りを、理性を総動員して抑える。 「わかってるよ、イザーク」 自分でも抑えるのが精一杯で、アスランの声は自然と低くなる。 アスランはそれ以上何も言わず、黙って席に着いてデスクが埋もれてしまいそうな程の量の仕事に手をつけ始める。 イザークも黙々と仕事をし始めたアスランに何も言わず、自分の席に戻って行った。 それを気配で感じ取ると、アスランは小さく、けれど深く、溜め息を吐いた。 イザークの行動が、一層自分に不快感を与える。 アスランは大量にある仕事の山を片付けることで、心の中にある蟠りを忘れようとするかのように、ただ只管それに没頭した。 夕日が完全に沈んだ頃、社員はほとんど帰っていて、時刻は既に残業の時間へと入っていた。 漸く仕事を終えたアスランは帰ろうと、椅子から立ち上がってぐるりと辺りを見回した。 「・・・・・残っているのは、二人だけか・・・・・・・・・・」 アスランの目に入ったのは、書類の整理をしているイザークと、パソコンのキーを打ち続ける、キラ。 イザークにいたっては明らかに暇つぶしをしているようだ。 キラから、恋人同士なのだと聞いた。だから、まだ仕事を終えていないキラと一緒に帰ろうと待っているのだろう。 いつもの彼を見ていれば、なんと意外なことだろうか。 けれどアスランは知っていた。彼が、イザークが、ずっと前からキラのことを好きだったということを。 だから、もしかしたら心のどこかで罪悪感を感じていたのかもしれない。 「ヤマト。後は俺がやっておくから、もう帰っていい」 気がついたら、そう口にしていた。 キラはハッと顔を上げて、驚いたように目を見開いた。 「いえ、そんな!!私の仕事ですし・・・」 「彼氏が、待ち侘びているようだが?」 イザークに目をやりながら、自分でも意外なほど優しい笑みを浮かべる。 「でも・・・・・」 言い渋るキラに、いいから、と制すと、イザークに目配せをした。 「・・・・・帰るぞ」 イザークはそう短く言うと、キラの元へと歩いていって彼女の手を取った。 「あの・・・・・」 納得がいかない、とでも言うようにアスランに訴えようとするキラに、アスランは安心させるように微笑んだ。 キラは諦めたのか、イザークに手を引かれながらも軽く会釈をした。 「じゃあ後、お願いします」 言いながらも、ドアの向こうに消えていく。 悔しい。けれど、仕方ない。 だってイザークと共にいることを選んだのは、他でもないキラ本人なのだから。 「また、明日」 アスランはもう聞こえないとわかっているのに、ドアを見つめたまま、キラの背中に囁くようにそう言った。 こんな些細な言葉も、もう彼女に届くことはない。 帰りの車の中でふと時計に目をやると、既に日付が変わっていた。 アスランは溜め息と共に車を止め、インパネボックスに手を伸ばした。 ガサゴソと中を探り、そうして手に握るのは銀製のジッポーライターと、真新しいシガレットケース。 その中から一本煙草を取り出して口に銜え、火を点ける。 どのくらいぶりだろう、煙草なんて。 確か、最後に吸ったのは二十歳の時、オーブへ留学していた時だった。 留学先の大学で友人になったトールという青年に唆されて、屋上で吸っていた。 初めこそ咽たけれど、その時キラと離れていたこともあって、幾分か落ち着いたのを覚えている。 今、自分の心は荒んでいて、嫉妬に汚れている。 だから頭を冷そうと、久しぶりの煙草に手を伸ばした。 肺に悪いと分かってはいるが、そんなことで気が紛れるのならば安いものだ。 大きく吸って息を吐くと、白い煙が車内に広がっていく。 それを綺麗だなあと思いつつ、また煙を吸う。 けれど、アスランのキラに対しての感情は、消え去ることを知らなかった。 いくら吸っても、吐き出しても、心にこびりついた想いは無くなるどころか膨張していく。 自分がどれだけキラを愛しているとしても、彼女は自分を愛してくれはしないのに。 どうして、記憶を失うのがキラなのだろう。 否、もしも自分がキラのようになってしまったのなら、自分はきっとキラを傷つけてしまうだろう。 今と同じことに、なるだろう。 だから、これでいい。 キラが苦しまずに済むのなら、それで。 アスランは煙草の灰を灰皿に落とすと、車を家に向かって走らせ始めた。 眠れない。 アスランは帰ってくるとまず先に風呂に入った。 そして寝る準備を終えて布団の中に入ったはいいが、なかなか寝付けなかった。 しばらく寝返りをうっていたが、やがてむくりと起き上がり、台所に向かった。 水を飲もうとコップを取り出し、蛇口を捻って水を注ぐ。 並々と入った水を一気に呷るが、一向に眠気はこない。 仕方なしに、戸棚に仕舞ってあったウイスキーを取り出すと、水の入っていたコップに注ぎ、更に水を入れる。 そして軽くコップを振って中をかき混ぜると、グイグイと一気に飲み干す。 顔が火照り、意識がぼんやりとしてくる。 そしてやっと眠気が襲ってくるのを感じ、アスランは寝室に戻って行った。 ベッドにダイブして布団を適当にかけるともう意識は遠退き始めていて、アスランはそれに抗うことなく眠りの世界へと誘われる。 「・・・・・キラ・・・・・・・・・・」 無意識に呟いた元恋人の名を聞く者は、この家にはいない。 事故前と変わらない時刻に社内に辿り着くと、自分の職場には向かわずに社長室へと向かう。 自分の父、パトリック・ザラに会う為に。 彼はここ、ザフトカンパニーの社長である男だ。 昨日は仕事に追われて挨拶に行く暇もなかったので、忘れぬうちに行っておこうとアスランは思っていた。 コンコン、と普通のものよりも若干大きい扉を叩くと、中から入れと声がした。 「失礼します」 アスランは言いながら、社長室に入って行った。 「アスランか。もう身体はいいのか?」 黒く大きな社長椅子に座り、仕事をしながら言葉を投げてくる父。 「はい。昨日は挨拶にも来れず、すみませんでした」 アスランは事務的に一礼して謝罪する。 「いい。お前ももう責任者という重い立場にいるのだ。仕事そっちのけで来られても困る」 哂いながら、馬鹿にするようにパトリックは皮肉る。 「それも、そうですね」 そんな父の態度にアスランは苦笑を浮かべる。 父は、パトリックは変わってしまった。 数年前、母であるレノアが突然の事故により亡くなってから、我武者羅に仕事をしてきた。 当時9歳だったアスランは、毎日帰りの遅い父親の帰宅を夜中まで待っていたものだ。 元々資産家であったザラ家には莫大な財産があった為、当然家も大きく使用人もいた。 昼間は掃除をしてくれたり、ご飯を作ってくれたりしてくれる彼女らも、夜には帰ってしまうのは当たり前で。 既に亡き母に思いを馳せて、リビングで寝てしまっていた時もあった。 けれどそんな時は必ず、仕事で疲れているであろう父がわざわざベッドまで運んでくれていたのだ。 朝起きればもう仕事に出て行ってしまった後だけれど、そんな父の行動が、アスランを安心させていたのだ。 「キラ・ヤマト、といったか」 突然、父の口から発せられた名前に、驚いて思考を中断させる。 気付くと、パトリックは顔を上げてこちらを見据えていた。 「・・・・・はい?」 「記憶喪失、と言っていたが・・・・・お前は、どうするつもりなのだ?」 低い声で、まるで尋問でもするかのように問われる。 「・・・別れ、ましたよ?彼女には、好きな男性がいるようですし」 口にするのはとても、辛くて、苦しくて、切ないけれど。 けれどここで言わなければ、パトリックに変に誤解をされてしまう。 「そうか。お前にしては、随分と潔いな」 溜め息を吐きながら、視線を逸らす。 以前、パトリックにキラとの関係を伝えた時、なかなか許してはもらえなかった。 あの時、丁度取引先の令嬢との婚約話が持ち上がっていて、キラとは結婚どころか恋人になることさえ難しい状況であった。 それでも、一番初めに許してくれたのは、他でもない父この人だったのだ。 だから、そんな父を裏切るような結果にしてしまったのはなんだか申し訳ない。 「・・・・・俺には、彼女を攫っていく権利なんてものはありませんよ」 そう。自分には、キラを縛り付けておく権利がない。 自分の不注意で事故を起こし、あまつさえキラにショックを与え、記憶を失くさせてしまったのだ。 自分に何が言えよう? 独り善がりな恋慕をキラに押し付け、優しくてお人好しな彼女の性格を利用して、自分の傍に縛り付ける。 そんなことをするくらいなら、キラを確実に大事に、幸せにしてくれるやつに任せた方がよっぽどいい。 本当は、そんなことなどしたくはない。 悔しいし、勿論、譲りたくもない。 けれど、仕方のないことなのだ。 見守っているだけでいいと。 遠くで彼女の幸せを願うだけでいいと。 そうやってけじめをつけなければ、自分はきっと、壊れてしまうから。 どんなに彼女に触れたくとも、叶わないことだから。 抱きしめたいけれど、抱きしめられないもどかしさがあるけれど、キラが幸せならそれでいいと、思うから。 だから、自分は堪えなければならない。 どんなに辛く、切なくても。 「ならば、婚約でもするか?」 まるで、これから飲みに行くかとでも言うくらい軽く、パトリックは真顔で言った。 アスランの反応が遅れてしまうのも無理はない。 「・・・・・・・・・・・・・・・は?」 「婚約だ。難聴にでもなったか馬鹿息子め。・・・以前、お前に婚約の話を持ってきたシーゲルが、娘が未だに伴侶を決めて いないので心配だと、この間私に相談してきたのだ」 言われて、アスランは記憶を探り、目的の人物の名前を割り出す。 「確かクライン社の・・・ラクス・クライン嬢、でしたか?」 「そうだ。・・・別れたばかりで辛いのは分かるが、どうだ?」 手を組んでその上に顎を乗せると、覗き込むようにアスランを見上げる。 「・・・・・ご命令ならば、従います」 自分の気持ちを抑える為にも。 「命令ではない。これは、選択だ。婚約をするかしないか。お前自身はどう思っているのだ?」 キラへの気持ちが、爆発してしまう前に。 「婚約を、お受けします」 少しでも離れて、少しでもキラを忘れることが出来るのならば。 「・・・・・わかった。そう、伝えておく」 そう言って僅かに眉を顰めるパトリックに、微かな後悔を感じるけれど。 「ご迷惑を、おかけします」 自分にできることは、キラを見守り、そして。 彼女の幸せを願うことのみなのだ。 |
PHOTO BYかぼんや