午後二時をまわった。 カルトの熱も大分下がり、先程起きて粥を食べ、薬を飲んでまた眠ってしまった。 キラはそれに、もう大丈夫だろうと一安心し、食器の片付けや洗濯、掃除などをし始めた。 カルトを起こさないよう、極力音をたてないように、キラは慎重に家事をする。 今は落ち着いているからいいが、また熱をぶり返したらどうしよう、などと考えながら、せっせと家事を進めていく。 考え事をしていたせいか、常ならばやらないようなところまで掃除をしたりと、いつもよりも丁寧かつたくさんの時間をかけて掃 除をした。 そうこうしているうちに、時刻は三時を過ぎてしまった。 いつにも増して綺麗になったような気がする部屋に、キラは内心満足しながらカルトの元へと戻る。 額のタオルを取り、手で熱を確かめる。 もうほとんど下がったみたいで、キラはホッと肩の力を抜いた。 カルトの銀糸のような髪を丁寧に優しく梳き、その感触を楽しむ。 懐かしい、感触だ。 イザークと同じ、髪の色、艶、柔らかさ。 時折キラは、カルトを見ていると辛くなる。 どうしても、カルトの髪がイザークのそれと重なってしまうのだ。 それでも、カルトはカルトなのだと、割り切れているから。 だからこそ、罪悪感を感じてしまうのだ。 そしてそれはやがて、ストレスとなり。 キラに、知らぬうちに疲れを与えていたのだ。 キラは、カルトの夢の世界に誘われるように、ゆっくりと瞼を閉じた。 ] あれはいつだっただろうか。 もう何年も前の話だ。 高校生の時、とある事件が起こった。 キラが、とある女生徒の財布を盗んだと、騒ぎになったことがあった。 実際キラにはそんな覚えは全くないし、やる意味が無い。 けれどクラス中の皆は信じてくれず、途方に暮れていた時だった。 教室の扉がガラリと開き、そこから現れたのは、自分の彼氏の友人基ライバルの、アスラン・ザラだった。 また、罵られると思った。 クラスの皆と一緒になって、罵声を発すると、そう思って身構えていたが、実際キラに投げかけられたのは優しい言葉で。 唯一、キラを庇ってくれたのだった。 その時丁度イザークはいなくて、キラはアスランに流されるように他の空き教室でそれまでの経緯を話したのだった。 彼なら信じてくれると、そう思ったから。 思ったとおり、彼は信じてくれて。 イザークに心配をかけたくなくて、彼には黙っていて欲しいと頼んだら、快く了承してくれた。 とても優しい人だと、思った。 その時はただ、それだけだった。 けれど、今は・・・。 突然、けたたましい警報音が消防署全体に流れる。 『火災発生。火災発生。場所は―――――』 その声、否、情報に、アスランだけでなく皆が目を見開いた。 そこは。 「っキラ!!」 アスランの住む、アパートだった。 そこには今、キラとカルトがいる。 何が原因なのか、そんなことは最早どうでもよかった。 キラが、あの二人が無事ならば、それでいい。 だが。 あの時のように、カルトが逃げ遅れていたら。 そしてイザークのように、キラがカルトを探して中へと入っていってしまっていたら。 否、そもそも二人とも、まだ中にいるかも知れない。 アスランの思考はどんどん暗い方へと向かっていく。 だが直ぐに頭を振り、その可能性を否定する。 大丈夫だ。 同じことを二度繰り返すほど、キラは馬鹿ではない。 だから。 きっと、逃げているはずだ。 外で、燃えていくアパートを眺めながら、自分たち消防士を待っているのだ。 そう、信じて。 アスランを初めとする消防士たちは急いで準備して、消防車に乗り込んだ。 大丈夫。 アスランはそう、自身に言い聞かせた。 ふと感じたのは、ムッとするような熱さと、息苦しさ。 あまりの苦しさに、キラは徐に目を開けた。 「・・・っ!?」 そこには大量の、煙が充満していた。 あの時と同じ、黒煙だった。 キラは慌てて傍らにいるはずのカルトを見た。 その幼い顔立ちに浮かぶのは、苦しそうな表情だった。 キラは息を呑み、すぐにカルトをベッドから下ろす。 床に近ければ近いほど、酸素があるからだ。 自分のハンカチをポケットから出し、カルトの口に当ててこれ以上煙を吸わないようにする。 それにしても。 こんなに煙が充満しているのに、今まで全く気付かなかった。 疲れていたせいだろうか。 どちらにしろ、今はそんなことを考えている暇は無い。 キラもなるべく煙を吸わないように床に口を近づけながら、火は回っていないか辺りを探る。 どうやら、火はまだ回っていないらしいが、こんなに煙が充満しているということは、相当近いということだ。 キラは唇を噛み締めながら、どうするかと思案していると、外からサイレンが聞こえた。 「っ!!」 キラの表情から、苦渋が消えた。 消防車が来たのだ。 どうやらそれは、ベランダの方から聞こえてきているようで、キラはカルトを抱えてベランダに向かった。 この子だけでも、助かって欲しいと。 ガラリ、と網戸を開けて下を見下ろした。 「キラッ!!!」 上を見上げて、叫ぶ。 早々に消防車から降りたアスランは、キラの姿が無いことに気付いた。 カルトの姿も、見当たらない。 まさか。 アスランの心の中に、不安が過ぎる。 否、不安などという生易しいものではない。 これはもう、恐怖だ。 「っキラ!!」 もう一度、叫ぶ。 ふと、上の方で網戸が開くような音がした。 アスランは音がした方を振り仰いだ。 そして。 「キラっ!?」 その瞳は、驚きに見開かれた。 アスランの視線の先には、ベランダに通じる網戸を開け、小さな子供を抱きかかえた女性。 そのベランダは、アスランの住む部屋のもので。 その女性は言わずもがな、キラだった。 「っごほ・・・アス、アスラン!!」 煙に咽ながらも、アスランの名を呼ぶキラ。 「キラ!!待ってろ、今助ける!!!」 そう叫び、身を翻そうとするが。 「まっ、待って!!!この、子を・・・カルトを・・・」 そう言って、カルトを差し出してくる。 その意図を察したように、アスランは直ぐにベランダの下に走り寄った。 「おい、危険だアスラン、下がれ!!」 後ろの方からかかる声を気にも留めず、アスランは上へと向かって手を差し伸べた。 「大丈夫だ。ちゃんと、受け止める」 その声を合図にするかのように、キラはカルトを手放した。 一瞬、辺りの喧騒が止む。 気付いたらカルトは、アスランの腕の中だった。 アスランはそれに安堵し、今度はキラもと上を振り仰いだが。 そこには、キラの姿は無かった。 カルトをアスランに任せて、キラはホッと息を吐いた。 だが、そのせいで張り詰めていたモノが一気に緩んだのか、キラはその場に倒れ伏してしまった。 煙を吸いすぎて、息が苦しい。 視界が狭く、頭が働かない。 けれど、もう、心配することは無い。 カルトは、アスランがきちんと受け止めてくれた。 だからもう、安心できる。 炎が、チリチリと音をたてて近づいてくる。 どうやら、出火原因は隣の部屋らしい。 そんなことをぼんやりと考えているうちに、徐々に意識が遠のいてくる。 ああ、自分は、死ぬんだ。 ただ淡々と、そう理解した。 けれど、何故だろう。 脳裏に浮かぶのは、これから逢えるであろう死んだ夫ではなく、自分が憎しみを寄せているはずの、アスランで。 死を目の前にしている今、素直に自分の気持ちを受け入れることが出来た。 そう。自分はいつの間にか、彼が、アスランが、好きになっていたのだ。 本当は、もっと前から気付いていた。 けれどそれを、認めたくなくて。 でも、もう、いい。 だって、優しい彼なら、嘘でも涙を流してくれるだろうから。 だから、もう、死んでもいい。 彼に、大切な息子を託すことが出来たのだから。 けれど。 どうして自分は、こんなにも未練がましいのだろう。 もう一度だけ。 あと一瞬だけでもいいから、彼の姿が見たいと。 思ってしまうのは、貪欲すぎるのだろうか。 そしてなんで。 「キラ・・・・・」 彼はいつも、願いを叶えてくれるのだろうか。 気がついたら、梯子を手にベランダへと向かっていた。 そして、ベランダの柵を越えてキラを探す。 キラはすぐそこに倒れていて、アスランは慌てて駆け寄った。 「っキラ!!!」 キラの項に手を回し、支える。 薄く開いた瞼に、虚ろなアメジストが垣間見えた。 「・・・・・ァ・・・ス、ラン・・・?」 小さく零れた声は、意識が有る証拠でもある。 「キラ・・・」 そう呟く声を、遮るように。 「ね、アスラン・・・・・」 掠れた声が聞こえて、アスランは意識をそちらに向けた。 「ど、して・・・カルトを、イザークと呼ぶ必要があるのかって、聞いたよね・・・・・?」 静かに問うてくるキラに、アスランは小さく眉を顰めた。 「・・・・・僕は、君が、憎い・・・ううん。憎かった・・・・・」 そっと、キラの手が力なくアスランの頬に触れた。 「・・・僕は、ただ、君を・・・苦しませたかった・・・・・」 炎のせいで熱くなるその温度に、アスランの冷たい頬は心地よく。 「僕が・・・カルトを、イザークと呼べば・・・君は罪悪感を抱くと、思ったから・・・・・」 ス、と小さく指先を動かし、その感触を楽しむかのように滑らせる。 「イザークが死んだのは、君のせいだよ」 その確固たる断定に、アスランは思わず眉根を寄せた。 ほら、と言わんばかりにキラは微笑む。 「・・・やっぱり君は、そう思い込んでる」 揺れるエメラルドに、キラは笑みを絶やすことなく言葉を続けた。 「君は本当に、お人好しだね・・・・・。あの時は、ああするしかなかったって、主張すらしない」 それは・・・と言葉を紡ごうとするが、それはキラの火照った指先に止められた。 「知ってるよ。君が僕の為にそれを言わなかったってことくらい」 そう。実際アスランは、そのような主張などしていない。キラが傷つくことのないように、たとえ自分が不利な立場になろうとも 彼にはどうしても言えなかったのだ。 「だって君は・・・僕を、好きだから・・・・・」 途端、瞠目するアスランに、キラはクスリと笑った。 「気付いていないとでも、思ってたの?・・・・・僕はそんなに、愚かじゃないよ」 本当はずっと、気付いていた。高校時代、ただ一人信じてくれたのは彼だけだった。 好きでもない女を、そこまで信じることはできるだろうか。もしそうでなかったら、本当に唯のお人好しだが。 それでもキラは、わかっていた。アスランがずっと自分を見ていることも。イザークに嫉妬の瞳を向けていたのも。 だからこそ、アスランを苦しめられるという自信があったのだ。 だが、いつの間にかその予定は、崩壊していたのだ。 「・・・どうして、だろう・・・・・僕は、君を憎いはずなのに・・・」 煙を吸いすぎてしまったのか、キラの呼吸は先程よりも荒くなる。 言葉を紡ぐのも億劫で、キラは怠惰に腕を下ろした。 アスランはハッとキラの不規則に上下する胸を見て、早く治療を受けさせなければと考えた。 「アスラン!!」 タイミングよく後方から同僚の声が聞こえ、アスランはホット胸を撫で下ろした。 「キラ、兎に角今はここから離れよう」 尚も口を動かそうとする彼女の声を遮るように、アスランはそう言って彼女を抱き抱えた。 それでもキラは、諦めずに声を紡ぐ。 「君の事が・・・・・・・・」 小さく、小さく、本当に聞き取れないほどに小さいその声音は、炎の音と辺りの喧騒に掻き消されていく。 それでもキラは、いつの間にか芽生えた感情の答えを導き出す。 「だから・・・・・」 炎に包まれて。 熱い、篤い、口づけを。 炎と家族と愛情の狭間で揺れる憎しみは。 いつしか愛情に変わっていたのだ。 fin... あとがき 一部勝手にキリリク、22222打・うり様に捧げた、「氷のように・・・」から抜粋させていただきました。 だいぶ書き直しました。(2010/1/1) |
photo by LOSTPIA
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