ずっと恋い焦がれていた人だった。

 高校生の時、初めて恋というものを知った。

 初恋だった。

 一年生の冬、念願叶って彼女にしてもらったのだが、それはたったの一ヶ月で終わってしまった。

 まるで、夢物語のように。

 『別れよう』

 その言葉は、冷たい風と共にキラに痛みを齎した。

 『お前といると、疲れる・・・・・重いんだよ』

 見下すように、蔑むように見てくる彼に、キラは何も言えず。

 『じゃあな』

 彼の後ろ姿を、見送ることしかできなかった。








































春よ、来い








































 年月が流れるのは早いもので、あれからもう七年経つ。

 無事大学を卒業したキラは、そう苦労することなく地元の株式会社に就職した。

 あれ以来、キラは恋をしていない。否、恋を拒んできた。

 自分の『気持ち』を否定されて、『愛』を否定されて、それでも『恋』というものをする勇気がキラにはな

かったのだ。

 だから今まで、クラスの女子やサークル、会社で騒がれている男にも、そんな会話をしている女たちにも興

味を示すことができず、ほとんど孤独に生きてきたのだ。

 今年、この会社に就職した男性陣は皆レベルが高いらしい、というのは風の噂で聞いた。

 だがしかし、キラには全く興味がない。というよりも、本人は気付いていないが、恐怖を抱いているのだ。

 また、あんな風に傷つくのが嫌だから。

 だからキラは今も、誰とも接点を持たないでいた。

 とは言っても、仕事である以上、全く会話をしないわけにもいかないのは事実で。

 今もキラは、女性陣の中でダントツに人気があるアスラン・ザラと会話らしきものをしているのだった。

 「じゃあ、頼むよ」

 そう言いながら、少しばかり厚い冊子を渡された。

 「はい。今日中、ですよね?」

 当たり障りない笑顔で適当に返し、彼が頷くのを気配で察しながらも意識はすでに手の中の冊子にあった。

 どうやら、彼は別の仕事が入ってしまったようで、この冊子をコピーして資料作りをする、という余裕がな

くなってしまったのだそうだ。

 そこで何故キラに頼むのかといえば、一番彼女が頼みやすかっただけなのだが。

 この職場は、能力の高いものは多いのだが、如何せん一癖も二癖もある人間が多いのだ。

 その中でキラは、あまり人とは関わらないながらも仕事は頼めばやってくれるので、気持が楽なのだ。勿論、

彼に至っては別の理由もあるのだが。

 「こっちが終わったら手伝うから。本当、ありがとう」

 そう言い置くと、アスランは早速自分の仕事をする為に自分のデスクへと戻って行ったのだった。





















 夜。勤務時間はとうの昔に過ぎたのだが、このオフィスに残っている人影が、二つあった。

 「ヤマトさん、そっちは終わった?」

 そう声をかけるのは、未だ自分の仕事に目処がつかないアスランであった。

 「まだです。あと・・・五分の一くらい」

 ボソリ、と返したキラは、それでも手を止めることなく資料を作り続ける。

 その証拠に、カシャンカシャンと言うホチキスの音は、途絶えることを知らないかのように響き続ける。

 「そっか。あと三十分くらいかかるけど、終われそう?」

 そう問うと、何とはなしにキラは顔を上げた。

 「そのくらいになら、終われそうです」

 その返答を聴いたアスランは静かに笑むと、また自分の仕事に集中しだした。

 カタカタカタ・・・・・と響き続くキーボードの音に重なるようにして聞こえるホチキスの閉じられる音は、

後三十分ほど続いたのだった。





















 伸びをしながらパソコンの電源を落とすと、ふといつの間にかホチキスの音がしないことに気付いた。

 訝しんでキラのいた方を見やると、やはり彼女の姿はない。

 帰ってしまったのだろうか。

 そう首を傾げていると、不意に背後で人の気配を感じた。

 「コーヒー、淹れたんですが、飲みます?」

 その声は、紛れもなく彼女のもので。

 一瞬ドキリとしたアスランは内心で自分に驚いた。

 「あ、ああ、ありがとう。そっちはもう?」

 最後まで言葉を続けずとも、彼女の行動で答えはわかっている。

 「はい。先ほど終わりました」

 そう機械的に返事をするキラに、アスランは苦笑をするしかない。

 「じゃあ、もう仕事は終わりだね」

 コーヒーはミルクも砂糖も入っていないブラックで、アスランにはどうして彼女が自分はブラックしか飲め

ないということを知っているのだろうと首を傾げる他なかった。

 それでも、それをわざわざ口にするなんてなんだか滑稽で。代わりにそんなことを言ってみる。

 「そうですね」

 しかし、思ったより、否、思った以上に短い返答に、アスランは内心で焦った。

 「ヤ、ヤマトさんはいつも、何で通勤しているの?」

 彼女との間に流れる沈黙を想像するのも嫌なので、取り敢えず適当に会話の種を探す。

 口をついて出た疑問は単純そのものだが、アスランにはそんなことを気にしていられる余裕はなかった。

 「電車です。・・・・・ザラさんは?」

 珍しく切り返してきたキラに、なんとなく嬉しくなって、アスランは思わず満面の笑みを浮かべた。

 「俺もだよ。何線?」

 アスランの笑顔に顔を赤くしているなど、彼自身は気付いていない。

 「・・・アーモリー線です」

 どこかぶっきら棒に答えるキラにも、アスランは気付かない。

 「あれ?じゃあ、一緒だ。そうだよな、ヤマトさんいつも早いし」

 さり気無く、一緒の路線であることを知ったアスランは一人で納得したようだった。

 「じゃあ、そろそろ帰りますんで」

 キラは一礼をして適当に荷物を整理し、鞄を持って出て行こうとした。

 だが、それを易々と見送るなど、アスランには考えられないことだった。

 「待って!!」

 突然の大声だったので驚いて振り返ったキラに、アスランは先ほどの笑みとは違う、優しくどこか甘い笑み

をキラに向けて。

 「送って行くよ」

 キラに反論できる余裕を、消し去ったのだった。





















 電車に乗ってから、キラとアスランはお互いの降りる駅が同じであることを知った。

 そうしてコペルニクスで降りた二人だが、さっさと帰ろうと踵を返したキラを、アスランがまたしても引き

留めた。

 「家まで、送って行くよ」

 またか、とキラはとうとう溜息を吐きそうになるが、さすがに失礼だろうとそれを押し止めた。

 「いえ、お言葉は嬉しいんですけど、夜も遅いし」

 「だからだよ。この辺、夜は治安悪いって知ってるだろう?」

 キラの言葉に不機嫌そうに答えるアスラン。彼女はそんな彼に、困惑を露にした。

 「けど・・・・・」

 「俺としては、後で君が傷つくと後味悪いからなんだけどな」

 心にもないことだが、そうでも言わなければ彼女は是とは言ってくれないだろう。

 「・・・・・別に、恨みませんよ」

 「君がそうでも、俺が自分を恨む」

 ムスッとしたまま答えるキラに、苦笑交じりに返すアスラン。

 どうやら、勝負あったようだ。

 キラはアスランに逃げられないように手を取られてしまった。

 「わっ!?」

 思わず上げた声に気にすることなく、アスランはそのまま歩きだしたのだ。

 彼に握られた手がこんなに熱いのは何故だろうと、キラは赤くなる頬にも気付かずに首を傾げた。





















 それからというもの、アスランは毎日のようにキラを家まで送って行った。

 それが何週間か続いた時。

 「ねえちょっと、ザラ君とどういう関係なわけ?」

 来ると思った、とキラは溜息を隠すことなく吐いた。

 それに怒りを増幅させたのか、目の前に立ちはだかる先輩を静かに見据えた。

 「まさか付き合ってるとか、ないでしょうね?」

 怒っているように見せかけて、その実心の中では不安に駆られていることを、キラは何となくだが察してい

た。

 「いいえ。彼とは別にそんなんじゃ・・・・・」

 「嘘よ!!あのザラ君が好きでもない子を家まで送るなんて、あるはずないじゃない!!」

 目の前の先輩は涙を眼に浮かべ、そう喚き散らした。え、とキラが疑問を口にする寸前。

 「わかっているんなら、放っておいてくれないか?」

 突然の乱入者に、キラは思わず目を見開いた。

 だって、目の前には今の会話の根源であるアスランがいたのだから。

 「ヤマトさん、大丈夫?」

 目の前の先輩には目もくれずに話すアスランに、キラは相変わらず困惑する。

 「あの、えと・・・」

 そんなキラに苦笑をして、アスランは彼女の手を取った。

 「お昼、一緒にどう?もう昼休みだろう?」

 突然の誘いに、更に困惑するキラ。それでもアスランは諦めない。

 「よかったら、奢るよ」

 そう言いながらも、キラの手を引いて歩く足を止めない。

 「え?でも・・・・・」

 「いいから」

 耳元で囁かれ、キラはそれに従うを余儀なくされた。

 後に残された先輩は、口を噛みしめて屈辱に耐えていたという。





















 てっきり本当にお昼を食べに行くかと思いきや、辿り着いた場所は予想外な屋上だった。

 「な、なんで屋上なんですか?」

 なんだか沈黙が痛くて、キラはそっと訪ねた。

 しかし先ほどから俯いたままのアスランからは声も聞こえず、当然のことながら表情も窺い知れない。

 「あの・・・・・・」

 「君が、好きだ」

 躊躇いがちに切り出したキラの声を遮って聞こえた声。それと同時に上げられた表情は決心を固く決めた様

であった。

 驚くキラを尻目に、アスランは言葉を繋げた。

 「初めて見た時から、ずっと見てたんだ」

 入社式で初めてキラを見たアスランは、途端熱くなる頬に始めての感覚を覚えた。

 いつの間にか彼女を追う自分の視線。

 彼女を知りたい、彼女と話をしたい、彼女に触りたい。

 そんな気持ちを、今までアスランは知らずに育った。

 しかしそれが恋であることに、アスランは気付いてしまったのだ。

 それは先日、彼女と二人きりで残業をした時。

 仕事がアスランよりも早めに終わって、彼一人置いて帰るのも忍びないと感じたのであろうキラが淹れてく

れたコーヒーが切欠だった。

 彼女がアスランに尋ねるでもなくブラックコーヒーを淹れてくれたことが、これ以上ないまでに嬉しかった

のは、まだ記憶に新しい。

 そして、今まで無関心だったキラが、アスラン好みのコーヒーを淹れてくれた、という事実に歓喜したのだ。

 それと同時に感じた、彼女を愛しいと感じる心。

 そう。自分は彼女が愛しい。『好き』なのだ。

 それから、アスランはキラを振り向かせたくて、独占したくて。

 「だから・・・・・」

 「ごめんなさい」

 しかし、彼女の口から出てきた言葉は、期待していたそれとは反していて。

 「貴方はとてもいい人だと思うけど、そんな風には見れない」

 キラは何故か痛みを訴えた胸に知らん振りをして。

 「僕を好きだと言ってくれて、ありがとう」

 本当は、そんなこと言いたくなんてないはずなのに。

 けれど、古い傷は七年経った今でも痛みを訴えてきて。

 だがその考えも、次のアスランの行動で止まることとなるのだ。

 「っ泣くくらいなら、なんでそんなこと言うんだ!?」

 激した声とは裏腹に、感じた温もりは暖かくて、暖か過ぎて。

 「泣くな、キラ」

 涙が一層、勢いを増して溢れ出た。

 まるで今まで留めていた全てのものの箍が外れてしまったように。

 押し隠してきた悲しみや寂しさが、一気に溢れ出した。

 「ごめっ・・・・・ほん、とはっ・・・好・・・・・・・・・・」

 しゃくり上げながらも紡がれた言葉を、アスランはわざと止めた。

 感じた柔らかさに瞠目するキラに、アスランは彼女の唇を解放しながら言った。

 「キラ、好きだよ」

 見つめてくる翡翠は、常とは違って熱く。

 キラは体中の熱が頬に集中しているかのような感覚に陥った。

 そうしてアスランに見惚れたままのキラに、アスランは苦笑をして。

 「返事は?」

 そう言われて初めて、キラはハッと我に返った。

 「っ僕、も・・・・・僕も、アスランのことが好きです」

 いつからだろう、彼に惹かれていたのは。

 彼に話しかけられた時?コーヒーを淹れてあげて、礼を言われた時?送って行くと言ってくれた時?手を繋

いでくれた時?

 違う。

 もうずっと前から、彼を見ていた。

 そう、キラもアスランと同じく、入社式で彼に一目惚れをしていたのだ。

 けれど、過去の傷がそれをずっと否定していて。

 アスランに言われて初めて、気づいた気持ち。

 言霊に乗れば、確実に届く想い。







 季節は冬。もう直ぐ春が来る。

 今年の春はきっと、暖かく過ごせるだろうと、キラは微笑む。

 春よ、来い。









































あとがき

携帯サイト拍手お礼小節第2段でした。

今後も当サイトをよろしくお願いします。








Illust by 13-Thirteen

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