蛍光灯の電気が、眩いほどに室内を照らす。

 そこに一人の女性が淡い青色のソファに腰掛け、針仕事をしていた。

 そしてその様を珍しそうに首を傾げながら見つめている、幼い少女。

 チクタクと時計の音が鳴り響く中、その少女はそっと声を紡ぎ出した。

 「・・・ねえママ?」

 その問いかけに、ママと呼ばれた女性、キラは視線を手元から少女へと移し小首を傾げた。

 「何、アリア?」

 短く問い返し、少女の答えを誘う。

 すると少女アリアは逡巡しながらも、どこか期待を込めた眼でキラを見上げた。

 「パパはいつ、帰ってくるの?」

 その問いに、キラは一瞬目を見開き、しかしすぐにそれを隠してアリアを安心させるように微笑を浮かべた。

 「今日中には帰ってくるよ。だから、いい子にして待ってよ?」

 そう言いながらキラは、よいしょと先日抱き上げた時よりも幾分か少し重くなった娘を抱き上げた。

 目線の高さが近くなり、アリアはほんのりと顔を赤らめ、先程とは打って変わって笑顔を浮かべ、思い切りよく首を縦に振って見せた。

 それを見てキラはほっと安堵の吐息を漏らした。

 アリアを隣に座らせ、微笑を消したキラは先程とは違う、不安に満ちた表情を壁掛け時計に向けた。

 今日は大晦日。一年を締めくくる日である。

 だがしかし一家の主はここには居ず、今は勤め先の病院で職務をこなしている。

 キラの夫でありアリアの父でもある男は、名をアスランと言う。

 彼は数年前に医者になったばかりであるが、患者からも、勿論同じ職場で働く人からも慕われている。

 というのも、彼の温厚な性格や、誰にでも公平に優しく親身になって接する勤務態度からも言えることだ。

 そんな彼の唯一の欠点は、人からの頼みごとを断れないことだろう。

 今日も本来なら今の時間、アスランは家に居られるはずであったのだが、本日の当直であったはずの男性の医者が彼女と始めての大晦日だから一緒に過

ごしたい、というのを聞き入れ、結局アスランが当直をすることになってしまったのだ。

 こうしてこの間のクリスマスだって家族三人揃わずに過ごしたのだ。

 全く、もう少し娘のことを考えてやれないのだろうか、などと仕方の無いことを思う自分に、キラは溜め息を吐いた。

 そうして彼女は再び、針仕事を始めた。

 アリアが母の溜め息をこっそりと盗み見ているなど、気付かぬままに。

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 


 

 

大晦日の小さな事件 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大晦日と言えど、病院内はいつもとそう変わらずに静かで。

 だがしかしどこか落ち着きの無さが、患者たちや職員の表情から窺える。

 そんな中、当直であるはずの同僚の代わりに勤務しているアスランは、医局でコーヒーを淹れていた。

 本日は特に急患もなく、容態の急変した患者も居ない為、そう忙しいわけでもなかった。

 だが、だからといって病院を空けるわけにはいかないのだ。

 もし患者が急変したら。もし急患が来たら。

 患者に治療を施すことが出来るのは医者しか居ないのだから、例え一人でもこの場に留まり、もしもの時に備えておかなければならないのだ。

 アスランは淹れたばかりのコーヒーを手に持ち、自分のデスクに座った。

 既に時刻は十時を回っている。

 アスランは愛する妻と娘のことを想い、深くため息を吐いた。

 この病院からアスランの自宅まで歩いて三十分ほどであるが、帰るわけにはいかないのはわかっている。

 だがどうしても、二人の様子が気になってしまうのだ。それは偏に、年の瀬だからだろう。

 一年が終わり、新しい年が始まると言う節目である今日、二人と共に過ごせないのが唯一の後悔である。

 それでも、一家の主として家族を支えて行く上で、収入を得ないことにはそれは無理に終わってしまうのだ。

 「なかなか、上手くいかないな」

 そう一人ごちて、アスランは熱いコーヒーを一気に飲み干し、コトリと机に置いた。

 そうしてから時計を見て、再び重い溜息を吐いた。

 また、家族と一緒に過ごす時間を減らしてしまった自分に、嫌気がさす。

 しかしここで後悔してももう遅い。強いて言うならば、後悔すべきは自分の性格だと思い直し、アスランは小さな苦笑を零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと時計を見やると、その針は午後十時五十分を指していた。

 いつの間にか隣で座っていたはずのアリアがいなくなっており、かなり針仕事の熱中していたのだな、とキラは自らに失笑した。

 そうしてから、そろそろアリアを寝かせねばと思い直し、幼い少女を探すべく徐に腰を上げた。

 いくら大晦日でも、常の生活を崩しては身体に悪いことには変わりない。

 取り敢えずまずは寝室を見てみよう、と思いついたキラは、その足をそちらの方に向け歩み出した。

 「アリア、いる?」

 もしかしたら寝ているかもしれない、と起こすのを危惧して声を顰める。

 だがしかし、そっと覗いた先には目的の少女の面影は見られなかった。

 はて、一体どこに行ったのやら。

 キラは小さく首を傾げるに留め、再び歩を進めた。

 トイレやお風呂、キッチンやリビング、果てはクローゼットの中まで、愛しい娘の名を呼びながら探すこと約十分。

 漸くキラはアリアがこの家の中にいないことを悟った。

 慌てて着のみ着のまま、玄関を飛び出し、エレベーターに向かった。

 キラたちの住まうここは十階建てのマンション。そのうちの九階の一番奥が彼女たちの部屋となっている。

 無造作にボタンを押してみたが、どうやら一階で止まっているようだ。

 こんな時間だ。恐らくアリアがこれを使って降りて行ったのだろう。

 大晦日でしかも十時を回っているとなると、人通りも自然と少なくなる。

 一体いつからいなくなったのだろうか。

 こんな時、無駄な集中力を発揮する自分に嫌気がさす。

 アスランは凄い才能だと褒めてくれるが、キラにとってはコンプレックスでしかないのだ。

 そう後悔している間にもエレベーターは上がってくる、と思いきや、何故だか一階で止まったままだ。

 怪訝に思いボタンを見やれば、確りとライトはついている。

 こんな所で足止めを食らっている場合ではない、と踏んだキラは、急ぎすぐ傍にある階段を目指した。

 そしてそのまま息つく間もなく駆け降りた。

 どうか無事でいますように、と心の奥底から祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガラガラガラガラ・・・・・。血に塗れた患者を乗せたストレッチャーが、病院内を走る。

 アスランはそれを運ぶ救急隊員に患者の病状を尋ね、処置方を考える。

 救急隊員から患者の受け入れ要請を受けた時、一瞬ドキリとした。

 何故なら、患者は六歳の少女だというのだから。

 娘アリアも六歳なので、心臓が止まるかと思ったぐらいだ。

 聞く話によると、残業から解放された父親を駅まで向えに行こうとしている途中に、野良犬に噛まれたらしい。

 思った以上に傷が深く、動揺を隠しきれないまま母親が救急車を呼んだようだ。

 やがて処置室に着き、処置を始める。

 傷口を見ると、相当深くやられてしまったようだ。何針か縫わないとならないほどに傷口が深かった。

 可哀想に、気を失えないほどに痛いのだろう。少女は大声を上げながら泣き続けている。

 「大丈夫。すぐ、終わるからね」

 アスランは少女を安心させるように、優しく微笑を見せた。

 だが流石に痛みに勝てないのか、声の音量は変わらなかった。

 それでも構わずに、アスランは冷静に処置を始めた。

 その後そう時間もかからずに、処置室のライトが消えた。

 処置を終え、一足先に処置室から出ると、直ぐそこのソファには少女の母親と、恐らく後から話を聞きつけて来たのであろう、息を切らしたままの父親

が座っていた。

 「せ、先生、うちの子は!?」

 そう叫び訊ねて来たのは、母親だった。

 そしてその声に重ねるように、父親も声を発した。

 「どうなんです!?傷の具合は・・・」

 それにアスランは苦笑を零して、大丈夫ですよと応えた。

 「検査したところ、狂犬病の恐れもないでしょう。傷口はもしかしたら少し、残ってしまうかもしれませんが・・・」

 最後の方は流石に言葉を濁したが、けれどと彼は言葉を続けた。

 「今日の整形外科なら完全に消すことも可能ですので、ご安心を」

 そう言って一礼をし、アスランはその場から立ち去った。

 後から、ありがとうございます、という二人の声が聞こえたが、それよりもアスランはその後に聞こえた声に耳を傾けた。

 「ユーリ!!」

 言わずもがな娘の名前だろう。

 だがしかし、アスランを振り向かせるには十分な言葉だった。

 振り向いた先には、涙を溢れさせた両親と眠る娘。

 それに、どうしても自分の家族を重ね合わせてしまう。

 アスランは静かに瞬きし、踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どのくらい走っただろうか。

 辛うじて持ってきた携帯のディスプレイには“23:07”と記されていた。

 そんなに時間は経ってはいないが、キラの胸を襲う胸騒ぎは止まらないどころか増して行った。

 このままでは、アリアと一緒に年を越すのは無理だ。

 そう思ったキラは、携帯のボタンを押し始めた。

 そうして通話ボタンを押し、電話をかける。

 相手は言わずもがなアスランの務めている病院だった。

 しばらくのコール音の後、事務員の声が聞こえた。

 「すみません、アスラン・ザラの妻ですが、彼をお願いできますか!?」

 急かすように口早に言い、少々驚いた様子の事務員はしかしすぐにわかりましたと返事をし、キラに少々お待ち下さいと指示した。

 待つこと数秒、だがキラにはとてつもなく長い時間に思えて。

 『もしもしキラ?珍しいじゃないか、勤務中に電話してくるなんて・・・』

 漸く聞こえた声に、彼女は安堵に瞳に涙を浮かべた。

 だがすぐにそれを抑え、彼に状況を伝えるべく小さく咳払いをした。

 『なっ!?それで、警察には?』

 一通り話を聞いたアスランは、そう尋ねた。

 「ううん。あんまり大事になると、後でアリアが可哀想だと思ったから」

 そう。警察などを呼べば、野次馬だって来るだろう。そうした時、一番目立つのはアリアだ。彼女の為にもここはなるべく事を大きくしないようにした

方がいいのではないか、というのが彼女の考えであった。

 すると、それに納得したのかアスランが頷くと、俺も近くを探してみると言って電話を切った。

 「うん、お願いね」

 切られたのはわかっていたが、そう言わずにはいられなかった。

 いっそ怒ってくれたらいいのに、と思うが、そうしないのが彼の優しさだ。それがわかっているからこその、言葉であった。

 携帯をジーンズのポケットに仕舞ったキラも、やがて走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかして病院を抜け出そうと思ったアスランであったが、よくよく考えてみれば自分は当直の身。

 いくら急患や急病患者がいないからといって、そう易々と抜け出してしまってはならないことぐらい、アスランは重々承知していた。

 そんなことを悶々と考えていたアスランは、だがしかし後ろから聞こえた声により、肩を揺らした。

 「おい、そこで何をしている?」

 振り返ったそこにいたのは、今日は非番のはずのアスランの一個上の先輩、イザーク・ジュールであった。

 「イ・・・イザーク!?なんでここに?」

 肩上に切りそろえられた銀髪を揺らし、イザークは首を傾げた。

 「なんでとはなんだ。折角当直代わってやろうと思って来てやったのに」

 正に、棚から牡丹餅。

 「イザーク!!今度奢るよ!!」

 そう言うや否や駆け出し、更衣室の方に向かって行った。

 それを眺めつつイザークは眉間に皺を寄せて。

 「医者なんだから、廊下は走るな!!!」

 彼はそんな叫び声を病院中に響かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ったく、大晦日だってのになんだってこんな所見回りなんかしなきゃなんないんだよ」

 そう愚痴を零したのは、一人の警官だった。

 自転車を漕ぎながら辺りを見渡し職務に当たる彼はその言葉とは裏腹に真面目な勤務態度である。

 「ま、面倒だけど、仕事だし・・・仕方ないか」

 ため息交じりに言葉を紡ぎ、警官は一つ欠伸を零した。

 そうして公園の方を見やった時。ふと小さな頭を視界に掠めたような気がして慌ててブレーキを踏んだ。

 それから地面に降り立った彼は自転車諸共方向転換して、先程見えたであろう小さな頭を目指す。

 やがてそれが確信に変わった頃には、目の前には小さな幼い少女がちょこんと座っていた。

 「あれ?こんなところで何してるの?ママとパパは、どうしたのかな?」

 警官は優しく問いかけると、少女は徐に顔を上げてみせた。

 「あのっ!!アプリリウスそうごうびょういんって、どこだかしって・・・ますかっ!!??」

 そんな大声で言わずとも聞こえるのに、緊張からか少女はそれはもう大きな声で言って見せた。

 若干苦笑い気味に警官は、知ってるよと応えた。

 「でも、一体何しに行くんだ?見たところ、どこも悪そうには見えないけど?」

 そう尋ねると少女は、警官が予想し得なかった答えを紡ぎ出した。

 「パパがそこでお仕事しているの。だから、お迎えに行くんだよ!!」

 またしても大きな声でそう答えた少女に、警官はそうか偉いなと適当に返した。

 「じゃあ、独りじゃ危ないから、おにいちゃんが案内ついでについて行ってあげるよ」

 ニコリと微笑んでそう言ってやれば、安心しきった顔を浮かべた少女がコクリと元気よく頷いた。

 「ありがとう、おじちゃん!!」

 そのお礼の言葉に、警官は違和感を覚えた。何故なら彼はまだ、二十六歳なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 警官が公園で出会った少女としばらく歩いていると、突然遠くの方から声が聞こえた。

 「アリアーッ!!!」

 それを不審に思った警官はそちらに目を向けた。

 だがそれよりも先に、少女が行動を起こしたのだ。

 「ママだぁ!!!」

 嬉しそうに叫ぶ少女に、一番驚いたのは勿論警官だ。

 見た目十代後半の女性が六歳ほどの少女に『ママ』と呼ばれているのだから、驚きもする。

 「アリアッ!!心配したんだよ!?」

 いつの間にか近くまで来ていた母親が、警官には構わずに少女を抱き寄せた。

 その感動の再会をしばし眺めていると、別の方からも声が聞こえた。今度は男性のものだ。

 「アリアッ、キラッ!!」

 その男性も、警官を無視して二人に抱きついた。

 その様に、警官は面食らう。いくらなんでも、若すぎやしないか、と。男性の方は女性よりも年上には見えるが、やはり若い。若すぎる。

 警官は気になって気になって、思わず声に出して言ってしまった。

 「あの、一体あなた方は何歳なんですか?」

 そこで漸く彼の存在に気づいたらしく、二人は恥ずかしそうに立ち上がり、頭を下げてきた。

 「アリア、娘をありがとうございました」

 「本当に、ご迷惑をお掛けして、すみませんでした」

 二人共々礼を言われ、どぎまぎしているうちに警官の問いかけは有耶無耶になった。

 「あ、いえ、仕事ですから。それでは、失礼します。よい、御年を」

 そう言い残し、警官は足早に去って行った。

 それを見送り、アスランはキラに視線を向けた。

 「何をやっていたんだ、キラ?気付かなかったのか?アリアも。黙っていなくなったりしたら、駄目だろう?」

 真っ直ぐ見据えられ、そう言われたキラは視線を落した。

 「ごめん、なさい・・・針仕事に集中し過ぎて・・・・・」

 一目見てわかるほどに落ち込むキラにこれ以上詰るのも可哀想だと思ったが、ここで引いてしまっては同じことの繰り返しになり兼ねない。

 「ちがうの!!ママを責めないであげて!!アリア、パパのところに行こうとしたの」

 その言葉に、アスランもキラも顔を見合わせた。

 「ママ、さびしそうで・・・それで、パパがいれば笑顔になるかなって思って・・・それでびょういんにいこうとしたけど、とちゅうで迷って・・・」

 まさか自分の所に来ようとしていたなど思いもしなかったアスランは、途端キラたちを責めたことへの罪悪感を感じた。

 「そう、だったのか・・・。ごめんな、寂しい思いさせて。でも、もういいんだよ。パパも一緒に帰れるから」

 その言葉にアリアは、嬉しそうに本当?と問いただし、アスランもまた嬉しそうに本当だよと応えた。

 「え、仕事は?」

 驚いて目を丸くしているキラの言葉に、アスランは苦笑を浮かべて。

 「イザークが来てくれたんだ。何にも言ってなかったけど、多分気を使ってくれたんだと思う。それか、独りじゃ寂しいからとか、そんな理由じゃない

かな」

 アスランの答えにそっかと返し、じゃあ帰って年越し蕎麦でも食べようかと満面の笑みを零した。

 「アリアも食べる!!」

 そんな少女の声にも、わかってるよと返したキラは、先刻よりもずっと嬉しそうだったという。

 

 

 

 

 

 大晦日に起きた小さな事件。

 これ以来アスランは、行事ごとの時にはなるべく仕事を休むようにしている。

 これが家族が幸せになるための、一つの手段であると信じて、彼らは今日も幸せを育む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

皆様、お久しぶりでございます。あけましておめでとうございます。

早速フリリク小説、書かせていただきました。

アスキラ♀子持ちで皆好き合っている、ということですが・・・。

感想、苦情、なんなにりとどうぞ。




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