「ごめん、カガリ」 そう言って頭を下げる目の前の男は、カガリが愛して止まないアスラン・ザラだ。 「・・・・・そ、んな・・・・・・・・・・?」 カガリはただ呆然と声を漏らし、琥珀色の瞳を揺らした。 まさかこんな答えが返ってくるとは、これっぽっちも思っていなかったから。 「本当に、ごめん。君は、幼馴染としてしか、見れない・・・・・」 丁寧に、諭すかのように紡がれる、言葉。 カガリはアスランの言葉が信じられず、緩々と首を振るだけだ。 しかしアスランは、ほんの少し逡巡した後に、そんなカガリを気にも留めずにさっさと踵を返してしまう。 カガリはそれを引きとめようとはしなかった。否、出来なかった。 声も出せず、足さえも微動だにすら動かすことが出来なかったのだから。 授業に向かうアスランの背中は、どこか弾んでいたようにも見えた。 カガリは、一時間目が何もなくて良かったと、ホッと胸を撫で下ろした。 こんな乱れた心のままじゃ、授業なんてまともに出来るはずがないではないか。 カガリはゆっくりと自分の席に座った。 職員室独特の、コーヒーの香りが鼻腔をついた。 あの頃に思いを馳せて 避けられている。 そう思い始めたのは、丁度一週間前。 アスランと付き合いだしてから、既に二週間がたった。 ずっとカガリに謝ろうと、声をかけようとしていたが、何故かその度に用があるなどと言ってどこかに行ってしまうのだ。 痺れを切らしたキラは、一週間前、カガリの自宅であるアスハ家にも行ったが、やはり不在。 流石におかしいとキラが気付くのには少し遅すぎた。 キラのクラスの体育の授業はカガリが担当ではないので、学校では接点など全くと言っていいほどないのだ。 だから仕方ないとは思っていたのだが、二週間も会っていないとなれば、これはもう避けられているとしか思えないのも無理はない。 この事をアスランに相談したのだが、苦笑して「そのうち顔を出すだろう」と言ってキスを送られた。 アスランも、なんだかカガリを避けているようで、キラは溜め息を零すしかなかった。 そうしてまた一週間がたった頃。 「ヤマト。悪いがコレ、職員室の俺の机に置いておいてくれないか?」 そう言ってキラのクラスの体育を担当するムウから手渡されたのは、クラス全員の体力測定表だ。 最近の体育の授業は専ら体力測定で、その結果を記録するのがこの表だった。 しかしキラは体育委員でも学級委員でもない。 キラは思わず何で自分なのかと顔を顰めた。 それに気付いたのか、ムウは苦笑しながら日直だからと答えた。 「・・・わかりました」 日直ならば、致し方ない。 渋々ながら頷くと、キラはそれを受け取って職員室に向かった。 幸い、今の授業で昼休みに入る。 キラはゆっくりと歩を進めた。 ガラガラガラ・・・。 「失礼します」 そう言って職員室に入る。 いろんな先生から一瞥を向けられるが、それはすぐに逸らされる。 それはカガリも同じだった。 キラはカガリの姿を認めると、ムウに頼まれた仕事をこなし、カガリの机に向かっていった。 「・・・・・カガリ、姉さん・・・?」 小さく呟いてカガリの顔を覗き込む。 カガリは気まずそうに顔を逸らし、さっさと席を立とうとするが、キラは咄嗟にカガリの袖を掴んで留めた。 「・・・・・・・・・・なんだ?」 諦めたのか、それにしても声が冷たいような気がするのは気のせいだろうか。 「姉さん、僕・・・・・・・・・・・」 謝ろうと、自分がアスランと付き合い出したことを謝ろうと、キラは口を開くが、それはカガリに睨まれたことで止めざるを得なかった。 「学校ではアスハ先生と呼べと言っただろう!?」 初めて、だった。 カガリが自分に大声で叱責するのは。 周りの先生方が、驚いてこちらを向いた。 確かにカガリがこの学校に来た時、校内では姉と呼ぶなとは言われていたが、言っても苦笑するくらいだった。 なのに、何故突然声を荒らげるのだろうと思えば、すぐに答えは見つかった。 やはり、怒っているのだ。 自分とアスランが付き合い出したことを。 カガリの気持ちを知っていながら、アスランと付き合い出してしまったことを。 「っごめ・・・・・・なさ・・・・・・・・」 消え入るような声に、カガリは荒々しく溜め息を吐いた。 「私はこれから用があるから、お前はさっさと昼飯を食え」 カガリはそう言い終えるや否や、キラの手を自分の袖からやんわりと外してその場を後にした。 残されたキラはただ、後悔するしかなかった。 何を? アスランと付き合ったことを? カガリの気持ちを、踏み躙ったことを? わからない。 けれど、自分が大変なことをしてしまったような気がして。 それでもアスランの傍にいたいと願う自分に、嫌気がさした。 「どうしたんだ、キラ?」 帰り道、いつもアスランと待ち合わせをしている公園のベンチに腰掛けていたキラは、その声にふと顔を上げた。 いくら幼馴染でも、付き合うとあらば隠さなければならない。 それはアスランが教師で、キラが生徒だからである。 なので堂々と登下校できるはずもなく、けれど二人は一緒に登下校していた。 朝はこの公園まで。 帰りはこの公園で待ち合わせをして。 もしかしたら誰かに見られているかもしれないが、それはきっと、幼馴染ということで納得してもらえることだろう。 キラとアスラン、そしてカガリが幼馴染だということは、ほとんどの生徒が知っていることだから。 「・・・ううん。なんでもない。さ、行こっか?」 微笑を浮かべながら言うと、キラは立ち上がって傍らに置いておいた鞄を手に取った。 アスランは一瞬心配そうにキラを見つめたが、すぐに微笑みを浮かべて鞄を持つよと手を差し伸べた。 「ありがと」 そうして二人は家路についた。 本当は、気付いていたのかもしれない。 カガリは電気も点けずに一人、机に向かって考えていた。 愛しい、妹のような存在であるキラ。 それとはまた別の愛しさを感じる、アスラン。 二人とも、大好きだ。 けれど今のカガリは、二人をどうしても好きにはなれなかった。 本当は、物凄い罪悪感を抱いている。 それを素直に納得できないほど、カガリの心は荒んでいるのだ。 カガリはキラの目の前でアスランの唇を奪った。 不意打ちだったとは言え、そんなに抵抗することなどなかったアスランは、迷うことなく自分を選んでくれるものだとばかり思っていたのだ。 けれどその予想は大きく裏切られ、アスランはキラと付き合い出してしまった。 悔しくないわけがないではないか。 カガリの心の中に、キラに向けての憎悪が生まれても、おかしくないではないか。 けれどそれに勝りそうなくらい大きな罪悪感は、未だに拭い去ることが出来なかった。 カガリは大きな溜め息を吐いて、机に突っ伏す。 「・・・・・キラ・・・・・・・・・・・・・」 素直になれない自分が、嫌になった。 罪悪感がないわけではなかった。 カガリが自分に向けてくれる気持ちは、寧ろ嬉しかった。 自分にとって彼女は、幼馴染でしかなくて。 それ以下でもそれ以上でもない、親友でしかない。 この関係を崩したくなかった。 これが本音だ。 彼女の告白で、崩れてしまったような気がする。 否、実際に崩れてしまったのだ。 顔を合わせるのも気まずくて。 無意識に自分でも彼女を避けてしまっている。 キラはずっと気にしていたけど、なるべくカガリと関わりたくなくて、わざと話を逸らしていた。 彼女と会ってしまったら、話してしまったら、自分の中にある罪悪感が膨れ上がりすぎて、押しつぶされてしまいそうだから。 ならばずっと逃げ続けるのか、と問われれば、答えはNOだ。 ただ、今は距離を置きたいだけ。 それだけだ。 けれどすぐにそれが後悔に変わってしまうことなど、この時のアスランは予想し得なかった。 雨が降っていた。 ザァザァザァ・・・・・。 比較的強い雨が音を立てて地面を叩きつける。 今日は休日で、雨のせいで出かけられず、残念がる人々が多いことだろう。 今は午前十時で、空は暗く澱んでいる。 雨は一向に止みそうもない。 そんな中、とある大豪邸の門の端に座り込む、キラ。 キラはもう一時間ほど、この場所である人を待っていた。 ある人とは、カガリのことだ。 この大豪邸は言わずもがなアスハ邸である。 約一時間前、キラがインターホンに話しかけると、帰ってきたのはカガリは出かけているという答え。 ならば何時頃戻るのかと聞いたところ、わからないと返された。 だったら待たせてもらうと言ったところ、帰ってくれと言われた。 中には入れてくれないようだ。 アスハ家の主、ウズミが養子にとったキラが入れないということは、今までなかった。 恐らく、カガリがキラを拒否しているのであろう。 キラはそのことに気付き、顔を俯かせた。 胸がチクリと痛んだ。 大好きなカガリ。 唯一の姉妹。 だから早く仲直りしたかった。 以前のように、笑って、他愛のない話をして、また笑って。 あの頃が懐かしい。 キラはアスランと付き合う前の頃に思いを馳せた。 あの頃に戻りたい。 キラは逸る気持ちを抑えながら、カガリが出てくるのを辛抱強く待った。 一時間ほど前にメイドが、キラが来たと知らせに来た。 帰らせるように命じ、カガリはベッドに寝転んだ。 だがなんとなく気になって、窓の外をこっそりと覗いた。 雨が降っていた。 ザァザァと。 ふと水色の傘が目に入る。 キラのお気に入りの傘だ。 カガリは、キラはすぐに帰るだろうと思っていた。 こんな雨の中帰れと言われれば、きっと諦めて帰るだろうと思っていたから。 しかしキラは一時間たつ今でもその場にしゃがみ込んでいた。 さっきまでは立っていたのだが、恐らく疲れてしまったのだろう。 カガリは今すぐキラの元に走り寄りたい衝動に駆られるが、今にも動き出そうとする足を必死に止める。 今キラに会ったら、自分の怒りを、醜いまでもの憎しみを、ぶつけてしまうような気がしたから。 だから今、キラに会ってはダメだと、カガリは自分に言い聞かせる。 そうしてまた、窓外のキラに視線を戻すと、その姿はなかった。 帰ったのだろうか。 そう思い、視線を外そうとしたが。 「っキラ!?」 門の端から、キラのものと思われる足のつま先が、見えていた。 どう見ても、倒れているとしか思えないつま先の向き。 気がついたらカガリは、走り出していた。 傘も差さず、一直線にキラの元へ向かう。 近づくにつれはっきりしてくるキラの姿はやはり、横たわっていた。 この雨の中、寝ているわけでは決してないだろう。 カガリは息を切らせながらキラの傍らに腰を下ろして彼女の顔色を窺った。 人目でキラの顔色が悪いとわかる。 真っ白な顔は青白く、眉は苦悶に歪んでいる。 小さな赤い唇からは、不規則な息遣いが聞こえた。 カガリはそんな彼女の額に手をやった。 「・・・っ熱があるじゃないか!?」 そう、キラの額は熱く、熱があるのだとわかる。 カガリは小さく舌打ちすると、キラを所謂お姫様抱っこして家の中に向かった。 中のメイドたちに様々な命令を下して、カガリは自室に向かった。 部屋はたくさんあるが、なんとなくキラは自分の部屋に寝かせたかった。 傍に置いておきたかった。 悔しさも、憎しみも、最早なかった。 ただ、大事な妹だからと。 例え血は繋がっていなくても、キラは自分にとって大事な存在だからと。 今のカガリにはただ、キラを救いたいと思う気持ちしかなかった。 「・・・ん・・・・・・・・・・」 あれから何時間たっただろうか。 キラの口から声が漏れたことに、カガリはハッとして顔を上げた。 「キラ、大丈夫か!?」 カガリの声にキラは目を見開いて、そうしてすぐにホッとしたように溜め息を吐いた。 「・・・・・大丈夫、だよ・・・」 よく見れば、カガリの瞳が濡れていることがわかった。 キラはカガリに心配をかけてしまったということに、申し訳なさを抱いた。 「カガリ姉さん・・・・・ごめんなさい・・・・・・・・・」 きょとんとカガリは目を丸くした。 「なんでお前が謝るんだ?」 その言葉に、このままはぐらかしてしまいたい思いに駆られながらも、それはダメだと自分に言い聞かせた。 「迷惑、だったよね?・・・・・アスランと付き合ったことだって・・・・・・・・・・」 カガリの目が見開かれる。 「キラ・・・・・」 キラは目を逸らしながら言葉を続ける。 「カガリの気持ちを知っていながら、アスランと付き合って・・・・・怒ったよね?・・・ごめんなさい」 静かな部屋に響いたキラの声が、カガリの頭の中を占拠した。 しかしすぐに頭を振り、そんなことはないと言った。 「確かに私は、アスランが好きだ。でも、キラだって、アスランのこと、好き・・・なんだろ?」 躊躇しながらも、小さく頷くキラ。 「でもアスランは、キラを選んだ・・・・・私じゃなく、キラが好きなんだ」 その言葉に、また視線をカガリに向けるキラ。 「姉さん・・・・・」 カガリは気にせずに言葉を続ける。 「お前らは、両思いなんだろ?」 一拍間を置いて、キラは俯いて頷いた。 「なら、仕方ないだろ?」 自分でも驚いた。 キラに会えば何かしら辛く当たってしまうのではないかと思っていたから。 現に昨日だって、当たってしまった。 らしくもなく、声を荒らげてしまった。 けれど今は自然に、キラに優しく接することができている。 それが自分でも誇らしく、今なら素直になれると思った。 「私こそ、無神経なことをして、悪かったな?」 アスランの唇を奪った時、キラはそれを見ていた。 そのことでキラが傷付いてしまったことなど、聞かれずともわかる。 カガリは小さく息を吸い込んだ。 「だから、な?お互い様だ」 満面の笑顔を向けて、言う。 キラはゆっくりと顔を上げる。 「ほら、笑えって!!」 キラの表情が徐々に明るくなっていく。 また、あの頃に戻ったような気がした。 あとがき キリ番6464を踏んでくださった菜華様に捧げます。 有り得ないほど遅れて申し訳ありませんでした。 心の小箱の続編です。 この話のキラは病弱のようで。・・・そういうことにしておいてください。 こんなのでよろしければ貰ってやってくださいまし。 by.奏織沙音 修正しました。 まだ誤字脱字等ありましたら、mailにてお知らせください。 感想も勿論お待ちしております。 |
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