本当はわかっている。

 教師と生徒と言う関係を超えるなど、許されないことだと。

 だがしかし、どうしても。

 どうしてもこの気持ちだけには嘘を吐きたくなかった。

 けれどそれを音にしてしまえばきっと、この関係が崩れるのはわかっていたから。

 だからキラはずっと、彼と出会ったその日から芽生えた感情を胸中に仕舞いこんできたのだ。

 週に二回の、密会。

 ひっそりと交わされる、濃厚なキス。

 暖かな夕日が、二人を照らす。

 二人以外、誰もいない情報室。

 今は放課後なので、校内に残っている生徒は、部活をやっていたり、はたまた補習をしていたりしている者がほとんどだ。

 床に座り込み、只管互いの唇を貪り合う二人の影は、外からは死角となって見えない。

 それらをいいことに、二人は室内に遠慮なく水音を響かせた。

 その音の卑猥さに、上気する吐息が彼にかかるのが嫌で、呼吸を意識して止めようとする。

 それに気付いたのか、彼はクツリと喉を鳴らして、キラの口内を更に激しく求めた。

 「っふ・・・・ん、は・・・・・・・・・」

 漏れ聞こえる声は、甘く響き、アスランの思考を溶かしてゆく。

 そんな自覚のないキラは、ただ只管アスランにしがみ付き、頬を高潮させては甘く艶やかな吐息を漏らした。

 その行為が、アスランの情欲を煽ることだと、恐らく気付いていないであろう事にはアスランは了承済みだった。

 高校生時代は全国模試で一位をキープしていたはずなのに、関わってみれば彼女は存外に抜けている。

 例えば、今この状況。

 無意識のうちに男を煽り、快楽に沈むキラ。

 彼女の身体を最奥まで拓いたことのないアスランでもわかる、その無知さ。

 それは一層、男の庇護欲をそそる。

 それは一ヶ月間、週に二度の密会でわかったことの一つである。

 その間、アスランは一度たりともキス以上の行動は取らなかった。

 何故なら自分たちは、恋人でもなんでもないのだから。

 教師と生徒。許されない関係。

 互いに惹かれるままに、キスを交し合う仲。

 それでいて告白もしなければ、互いに話をすることもあまりない。

 その関係は、言ってしまえば不可解な均衡。

 けれどそれこそ、二人が望んだ関係なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不可解な均衡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ん、はぁ・・・・・」

 零れる吐息と共に、離れる唇。

 名残惜しそうに瞳を潤ませたキラに、アスランは苦笑を浮かべた。

 「物足りない?」

 その言葉に我に返ったのか、キラはハッとしてアスランの翡翠とアメジストを重ねた。

 「そ、そんなこと・・・・・」

 けれど途中で言葉を濁す辺り、図星なのだろうことは手に取るようにわかる。

 「・・・残念だけど、今日はこれまで。俺、もう帰らなくちゃ・・・・・」

 残念そうに、否、どこか悔しそうにそう漏らすアスランを、キラは不思議そうに見た。

 「何か、用でもあるの?」

 いつもはそんなことなど言わないアスランに、キラは首を傾げる。

 「ああ、今日、父に呼ばれているんだ・・・。ごめん」

 申し訳なさそうに眉尻を下げるアスランに、キラは先程の彼のように苦笑を浮かべた。

 「いいよ、気にしないで」

 元より自分たちは、恋人同士とかそんな甘ったるい関係ではない。

 だから、これ以上を求めない。

 「それより、早く行かないと理事長怒るよ?」

 そう、アスランの父親はこの学校の理事長であるパトリック・ザラなのだ。

 そんな豪い人物を待たせては、申し訳が立たないではないか。

 「ああ。・・・・・キラ」

 短く答えたかと思うと、突然の真剣な声音と表情。

 キラは突然の彼の豹変振りに目を丸くしつつ、何?と小さく首を傾げた。

 「・・・・・・・・・・なんでも、ない」

 しかしその真剣な表情とは裏腹の、彼らしくなく歯切れの悪い声に、キラは内心で首を傾げながらも、そう・・・とだけ返した。

 それから二言三言交わし、二人は時間差を用いて情報室を後にした。

 その様子を、物陰からじっと見つめている人物がいるとは知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久方振りに呼び出されたとあって、アスランは珍しく手に汗を握っていた。

 アスランは普段、一人暮らしをしている。

 その為、彼の実家であるザラ本家に訪れるのは、本当に久しぶりだ。

 アスランは小さく深呼吸して、インターフォンを鳴らした。

 そう間を置くことなくインターフォンの向こう側から女性の声が聞こえた。

 「アスランです」

 そう言うと、女性は慌てたように少々お待ちくださいと言った。

 やがて出迎えに来たのは、先程の女性ではなく執事の初老の男性だった。

 「久しぶりだな」

 そう声をかけると、執事は仰々しく一礼し、お元気そうで何よりですと答えた。

 アスランはそれに微笑一つ零し、父上はご在宅か?と尋ねる。

 「ええ。先程、お戻りになられたばかりです」

 なら丁度いい頃合いだったな、とアスランは一人ごちた。

 そうしてこれまた久方振りに訪れる父親の部屋の扉をノックする執事を、アスランは固唾を呑みつつ見守った。

 中から厳かに漏れ聞こえた声に、アスランの緊張が一気に高まった。

 「アスラン坊ちゃまがお見えになりました」

 いい加減『坊ちゃま』というのは止めていただきたいが、数年前にお亡くなりになったお孫さんのことを思うと注意することがなんだか憚られる。

 『通しなさい』

 中からのその声に、執事が扉を開いてアスランを中へと促した。

 「どうぞ、ごゆっくり。後ほどお茶をお持ち致します」

 そう言ってまた仰々しく一礼する執事に、ああ、とだけ返して中へと足を踏み入れた。

 「失礼します。お久しぶりですね、父上」

 後ろで扉が閉まる音が聞こえたが、アスランは構わず父パトリックの前まで歩み寄る。

 「ああ。お前がなかなか顔を見せんから、忘れてしまうところだった」

 顰め面のままでそのようなことを言うものだから、アスランは思わず苦笑を浮かべてしまった。

 しかしそれはすぐに消え去り、代わって真剣な眼差しがパトリックに向けられた。

 「それで、今日はどういったご用件で?」

 わざわざ本家に呼び出すくらいだ。それ相応の用件があるのだろうことは、容易に予想できる。

 「・・・・・お前の、見合いの話だ」

 いつもの厳かな口調に、アスランは怒りでも悔しさでもない、驚きをその端正な表情に浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「え?僕が?」

 受話器越しに聞こえる声に、思わずそう漏らしてしまったキラ。

 ただ今実家の母と通話中である。

 『そう。お願いできないかしら?』

 困り果てた様子でそう言われては、断るなど出来ないではないか。

 「別にいいけど・・・。もう日にちとかは決まってるの?」

 『ええ。今度の日曜日よ。じゃあ、よろしく頼むわね』

 絶対に成功させてねと、母は語る。キラはそれに苦笑を浮かべて返すと、簡単な挨拶をして電話を切った。

 今度の日曜日、妹のステラがお見合いをするのだそうだ。

 本来なら両親が行くはずだったが、急な接待で行けなくなったとのこと。

 だったら別の日にしてもらえばいいのに、と思わなくもないが、相手はヤマト株式会社よりも格段に大きなザラ財閥。

 母曰く、別の日にしてもらおうと思って連絡したのだが、その日しか都合が合わないと言われたのだそうだ。

 その為、キラに白羽の矢が立ったのだ。

 腐っても成人女性なのだ。それでいて、高等学校の教師をやっているときたら、言うことない。

 なのでキラは、何も考えずに了承したのだ。

 それでなくとも、妹のステラのことはいつも気にかけていた。

 どこかふわふわとしていて、精神年齢がかなり幼い妹は、キラにとっては悩みの種でもある。

 キラだけでなく両親も、恐らくステラが早々に身を固めてくれることを望んでいたのだろう。

 未だ高校一年生だが、あと少しすれば結婚できる歳にもなる。

 そうすれば、肩の荷も少しは軽くなってくれるだろう。

 しかしその婚約相手であるザラ財閥の御曹司が、まさかあのアスランだとは、鈍いキラは未だ気付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 考えてみれば、気付かない方がおかしいのだ。

 ザラ財閥。

 その名を知らぬ者はいないと言うほど、有名である。

 だがしかしまさか、アスランがそこの御曹司だとは知らなかった。

 否正確には、ザラ財閥とキラが教師として働いている高校がその系列だとは知らなかったのだ。

 そこで働いている身としては有るまじき事である。

 しかし、そういう家柄には固執しない性質であるキラは、生徒たちの情報にも大して目をくれることもなく日々を過ごしていたのだ。

 そういうところが抜けているのだ、と後でアスランに言われそうだが、今はそんな場合ではない。

 「いや、代わりの保護者が来るとは聞いていたが、まさか私の学校で働いている教師だとはな・・・」

 そう言って握手を求めてくるパトリックに曖昧に苦笑を零し、キラは遠慮がちにその手を取った。

 「私も、まさか理事長だとは思いませんでした」

 真っ正直にそう言うものだから、パトリックとその隣にいたアスランまでもが目を丸くした。

 恐らく、ザラ財閥の系列でないことを知らなかったであろうキラに、驚いているのだろう。

 「それにしても、可愛らしい妹さんだな」

 そう言って緩んだ頬を浮かべたパトリックに、隣にいるアスランは更に驚いたように目を見開いた。

 「ありがとうございます。ほら、ステラ。ご挨拶は?」

 そこで漸く話を振ってくれた姉に対し満面の笑みを浮かべたステラは、嬉しそうに頷いた。

 「ステラ」

 そう名前だけ言うステラにキラは苦笑して、またしても驚いているお二方に苦笑を向けた。

 「ごめんなさい。この子、あまり喋るの慣れてなくて・・・」

 実は、ステラはヤマト家の本家の者ではない。

 ならば何故キラの妹かと言うと、それはただ単に養子だからだ。

 ステラの両親は、彼女が赤子の時からずっと虐待を繰り返していた。

 それを見兼ねたキラの父親が、ステラを引き取ったのだった。

 本家ではないにしろ、キラの父ハルマの従兄弟に当たるディアストレ・ルーシェが虐待をしていると言うことは、それなりに世間体も悪くなる。それも

あって、引き取ったのだろう。

 けれどキラたちの家族は、ステラを本当の家族と思って迎え入れた。

 それでも、幼い頃から虐待を受け続けていたステラは、今でもその時に受けた心の傷が治っていない。

 精神年齢が幼すぎて言葉もそれに比例して幼いし、周りに馬鹿にされることがあっても、ステラ自身理解していないと言う有様だ。

 それもあり、ステラはキラが教師を務める学校に通っていたりする。

 毎日一緒に登校し、一緒に帰宅する。

 但しそれは、週に二回のみ例外に当たる。

 アスランとの密会でどうしても遅くなってしまうので、先に帰らせるのだ。

 精神年齢が幼くても帰り道は覚えているようなので、キラはあまり気にしない。寧ろ、これも社会に出て行くための一つの糧だと思っている。

 いざとなれば、GPS機能付の携帯も所持しているのだ。

 だがまさかそれが仇になるなど、今のキラには思っても見なかった。

 「初めまして。アスラン・ザラです」

 そう言って微笑むアスランに、何故だかキラの胸の辺りがチクリと痛みを訴えた。

 それを気のせいだと無視して、キラはステラに安心させるように微笑んだ。

 「ステラ、この人知ってる」

 そうポツリと呟いたステラに、キラは思わず首を傾げた。

 それにも構わず、ステラはアスランに視線を向け、指差した。とても失礼な行為だが、キラはステラの次の言葉に、それを注意する機会を逃してしまっ

た。

 「お部屋で、キラお姉ちゃんとチューしてるの見た」

 ・・・・・・・・・・。

 「真っ赤なお部屋で、一緒にいて、チューしてたの」

 真っ赤なお部屋と言うのは、夕日の光で紅く染まった情報室のことを指すのだろう、などと半ば他人事のように思っていると、突然の追求の眼差し。

 「それは一体どういうことだ、キラ・ヤマト」

 詰るように紡がれる声音は、キラを精神的に追い詰める。

 「あ、それは・・・その・・・・・」

 「お姉ちゃん、嬉しそうに笑ってた。アスランも、笑ってた」

 火に油とはこういうことを言うのだな、とキラは内心で冷や汗をかきながらそう思った。

 「アスラン、お前・・・」

 「本当のことですよ、父上。だから、婚約などしません。いえ、この際キラと婚約させてください」

 追求の目を息子に移すが、返ってきたのはそんな言葉。

 パトリックは頭を抱えるしかなかった。

 「・・・つまりお前たちは、教師と生徒と言う間柄だと言うにも拘らず、逢引していたと言うことか?それも、校内で」

 溜め息交じりの言葉は、問いかけではなく確認。

 それに臆するでもなく、アスランは堂々と頷いて見せた。

 「はい、その通りです」

 ああ、どうしたらよいものか。

 キラは内心だけでなく見た目にも焦っているとわかるほど、視線を泳がせていた。

 「だから、キラとの婚約を認めてください」

 「・・・駄目だ、と言ったら?」

 きっぱりはっきり言う息子に、パトリックは呆れたようにそう返す。

 アスランはどういうわけだかニヤリと笑い、父親を驚かせた。

 「この事を、世間にバラします」

 それはつまり、校内で教師と生徒が恋仲であると言う不祥事に加え、そのうちの男の方が、なんと理事長の一人息子と言う、マスコミにとってはなん

とも嬉しい情報を世間に提供すると言うことだ。そうすれば、ザラ財閥が危ない。

 「ついでに言っておきますが、家は継ぎませんよ」

 キラと婚約させてくれたら話は別ですが、などとのたまうアスランに、流石のパトリックもこれは焦った。

 「・・・・・本気か?」

 「当たり前です。こんなこと、冗談でも言いませんよ」

 しばしの沈黙。見詰め合う親子。

 キラとステラは大人しく、話の進展を待つことにした。

 やがて。

 「・・・・・・・・・・・・・・わかった。許す。どちらにしろ、キラ・ヤマトはヤマト家の人間であるからな。大して変わらん」

 どうやら、教師と生徒と言うことには突っ込まないようだ。

 「ありがとうございます」

 「しかし、ヤマト家の方はそれでいいのか?」

 ふいに向けられた視線に、キラは思わず肩を揺らしてしまった。

 「へ!?え、いや、大丈夫だと思います・・・たぶん」

 口を濁しながら言うキラに、そうか、とだけ返したパトリック。

 「だが、アスランが高校を卒業するまで、付き合いは止めなさい」

 それはパトリックの、最低限の望みだった。

 このまま二人が会っていて、誰かに見つかったりでもしたら大変だ。現に、ステラに見られてしまっているのだから。見られたのがステラでよかった

と、この時初めてキラはそう思った。

 「わ、わかりました」

 「婚約発表は、それからでも遅くはない。アスラン、キラ嬢をお送りしろ」

 そう言って、パトリックはさっさと身支度をして、何故だかステラを連れて出て行ってしまった。恐らく、キラたちに気を使ってステラを送ってくれ

るのだろう。

 「・・・・・」

 「・・・・・キラ」

 流れる沈黙を破ったのは、アスランだった。

 「なんで、こうなるかなぁ?」

 零れた声が、最高級レストランの一番奥の個室に、静かに響いた。

 「・・・キラは、嫌?」

 「・・・・・・・・・・」

 再び、訪れる沈黙。

 それを破ったのは、今度はキラだった。

 「アスラン、僕ね、君に言ってないことがあったの」

 それは、暗黙の了解だった。

 言ってはいけない、この言葉。

 二人の関係をその一言で崩せるほどの力を持つ、言葉。

 けれど今、それにかけられた鍵が、外されていく。

 「僕・・・・・・・・・・っん」

 続く言葉は、アスランに呑まれた。

 重ねられた唇に、抵抗するでもなく感じる快感に身を任せる。

 薄く開いた唇の割れ目に、アスランは自らの舌を伸ばす。

 歯列をなぞり、キラの舌を探し出す。

 やがて捕らえたそれは柔らかく、身体の芯を刺激する。

 ピチャリと響く水音に、一層身体が熱くなる。

 ゾクリゾクリと這い上がる『何か』を感じながら、キラは崩れ落ちないように必死にアスランにしがみ付いた。

 次第に熱く、荒くなっていく吐息。上気する頬。潤む瞳。

 キラは薄く開いた瞳から、美しい翡翠を垣間見た。

 やがて離れた唇は、赤く熟れて艶かしい。

 「キラ、好きだ」

 「僕も」

 「愛してる」

 「うん。僕も君を、愛してるよ」

 お互いを、お互いの宝石に映しこみながら。

 二人は均衡を崩して行った。

 「結婚しよう」

 「君が大人になったらね」

 キラの言葉の最後は既に、アスランによって掻き消されていた。

 

 二人の不可解な均衡が、崩された日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

キリ番33313+555を踏んでくださったマリナ様に捧げます。

7000打のキリリク小説『煙草と君』の続編で、出来たらエロ有りとのことですが。

なんだか、話の進行上全くエロくなくて本当に申し訳ないです。頑張ると言ったくせしてすみませんでした。

 

by.奏織沙音






Background by キノキチ

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